2001年 1月15日 作成 ウィトゲンシュタイン を読む >> 目次 (作成日順)
2006年 7月 1日 更新  


 ウィトゲンシュタインの哲学を解説した文献は、(日本語の文献に限っても)夥しい数にのぼるので、われわれ シロートが、それらの全てに眼を通すことは不可能であろう。
 われわれ シロートとしては、最低限、このページに記載した文献を読んでおけばよい。

 [ 注意 ]

 まず、以下の 2冊を読んでください。

 (1) 「論理哲学論考」(藤本隆志・坂井秀寿 訳、法政大学出版局)
 (2) 「ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出」(ノーマン・マルコム 著、板坂 元 訳、平凡社ライブラリー)

 もし、以上の 2冊を読んで、「なにも感じないなら」、ウィトゲンシュタインを無理をして読まないほうがいいと思う。
 われわれには、ほかにも読まなければならない書物が山ほどあるのだから。

 



[ 読みかた ] (2006年 7月 1日)

 私は、ウィトゲンシュタイン 氏を わが人生の 「手本」 にしている割に、ドイツ 語を読めない。したがって、かれの考えかたを私は日本語訳および英語訳で学習しました。

 かれの文体は 「詩」 に近い美しい文体だそうですが、原文を読めない私は、それを味わうことができない。原文を読むのが いちばんに良いのでしょうが、たとえ、私が ドイツ 語を学習しても、ことばの ニュアンス を味わうほどに上達するかどうかは、はなはだ怪しい。とすれば、私の怪しい語学力に頼って 原文を 不正確に読み下すよりも、専門家が訳した翻訳を読むほうが良いでしょうね。

 ただ、日本語訳ですら、私は正確に読んでいたかどうか という点は疑問に思う。私が かれの書物 (「論理哲学論考」、邦訳) を はじめて読んだのは、19歳のときでした。はじめて読んで興奮したことを覚えています。そして、かれの虜になりました。しかし、ほんとうに、かれの考えかたを、当時、理解していたのかと問えば、はなはだ怪しい。

 それ以後も、私は、ときどき、かれのほかの書物を読んできました--それらの書物が、この ページ に記載されている書物です。ウィトゲンシュタイン 哲学の専門家なら、たぶん、まいにちのように、かれの書物を読むでしょうが、私は、哲学の専門家ではないので、かれの書物を、ときどきにしか読んでこなかった。それでも、(私は、いま、53歳ですから、) 19歳の頃を起点とすれば、ほぼ、30年のあいだ、かれを読んできました。

 かれの哲学を学習してきて、それを応用して、データベース 設計法として、TM (T字形 ER手法) を私は作りました。TM は、私の壮年期 (30歳代終わりから 50歳まで) の力を注いで作った技術です。私が引退するときに、みずからの仕事の 「成果」 として最初に挙げる仕事は TM を作ったことでしょうね、たぶん。私の人生のなかで、ウィトゲンシュタイン 氏が占めた割合は、それほどに大きい。
 ちなみに、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学は、「エンジニア の哲学」 とも云われています。

 私は、ウィトゲンシュタイン 氏しか読んでいない訳ではない。一人の哲学者しか知らないというのは、「哲学」 の文字通りの意味で言えば、危険でしょうね。ほかの哲学者の書物も、かならず、読んで下さい。

 「哲学書 (および、宗教書) を読んでいる」 と言えば、たいがい、怪訝な顔をされますし、まるで、私が 「変人」 のように思われてしまいます (苦笑)。「哲学」 は、問題点を論理的に把握するための考えかたなのだから、もし、ものごとを真摯に考えようとすれば、かならず、「哲学」 と向き合うことになると思うのですが、、、。
 亀井勝一郎 氏は、以下のように おっしゃていらっしゃいます (「思想の花びら」、大和書房)。

     もの思う人は、みなどこかで必ず優美なものだ。憂いは人の心を病(や)ませるが、病むことで生は
     陰翳(いんえい)を帯びる。思想という言葉に、いかめしさ、ものものしさ、あるいは冷い理屈といった
     先入観をもたらしたのは、根本的には おそらく陰翳への鈍感のためにちがいない。他人の思想を説明し
     解釈することしかできない無思想家の粉飾もあるにちがいない。思想に、優雅な表情をとり戻してやら
     なければならない。

 




 

 ▼ 入門編

[ ウィトゲンシュタインの著作 ]

 ● 論理哲学論考、藤本隆志・坂井秀寿 訳、法政大学出版局
  [「入門編」に「論考」を掲載しましたが、「論考」は、無茶苦茶、むずかしい本です。]
  [ 原典を読んでください、という意味で「入門編」に記載しました。]
  [「論考」は前期の代表作です。]
  [ この本には、後期の代表作の「哲学的探究」の抄訳も収められています。]

 ● ウィトゲンシュタイン セレクション、黒田 亘、平凡社ライブラリー
  [ ウィトゲンシュタインの様々な著作の抜粋抄訳 ]

[ 解説書 ]

 ● ウィトゲンシュタイン入門、永井 均、ちくま新書

 ● ウィトゲンシュタイン読本、飯田 隆 編、法政大学出版局

 ● ウィトゲンシュタインの生涯と哲学、黒崎 宏、勁草書房

 ● ウィトゲンシュタインの知 88、野家啓一 編、新書館

[ 伝記/評伝 ]

 ● ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出、ノーマン・マルコム 著、板坂 元 訳、平凡社ライブラリー

 ● ウィトゲンシュタイン、藤本隆志、講談社学術文庫

 ● ウィトゲンシュタイン(20世紀思想家文庫6)、滝浦静雄、岩波書店

 ● WITTGENSTEIN in 90 minutes, Paul Strathern, Constable&Company Ltd..

 ● Wittgenstein FOR BEGINNERS, John Heaton and Judy Groves, Icon Books Ltd..

 ● Wittgenstein, Grayling A.C., Oxford University Press.

 ● ウィトゲンシュタイン、A.ケニー 著、野本和幸 訳、法政大学出版局

 



[ 読みかた ] (2006年 7月 1日)

 まず、とにもかくにも、「論理哲学論考」 を一読してみて下さい。

 「論理哲学論考」 を一読して、もし、なにも感じなかったならば、ウィトゲンシュタイン 氏の ほかの書物を無理して読まないほうが良いでしょう。みずからの気質に合う ほかの哲学者を探したほうが良いでしょう。ウィトゲンシュタイン 氏のみが哲学者であるという訳じゃないので。

 「論理哲学論考」 を一読して、迫ってくる情感を感じたけれど、綴られている意味を理解できなかったならば--もっとも、この難解な書物を一読で理解できる訳などないのですが(笑)--、以下の解説書を読んで下さい。

 (1) ウィトゲンシュタイン読本、飯田 隆 編、法政大学出版局
 (2) ウィトゲンシュタインの生涯と哲学、黒崎 宏、勁草書房
 (3) ウィトゲンシュタインの知 88、野家啓一 編、新書館

 もし、ウィトゲンシュタイン 氏の書物を はじめて読むのであれば、かれの代表作は 「哲学探究」 だと云われているからといって、「哲学探究」 を最初に読もうとしないで下さい。「哲学探究」 は、ラッセル ですら、当初、理解できなかった書物ですから、われわれ シロート が直ぐに理解できる訳がない。「哲学探究」 は、「論理哲学論考」 よりも、もっと難解な書物です。
 ただ、「考える」 ということは、どういう行為なのかを生々しく感じるには、「哲学探究」 は最適な書物ですが。「哲学探究」 を理解するためには、どうしても、「論理哲学論考」 を理解していなければならないでしょうね。というのは、「哲学探究」 は、「論理哲学論考」 のなかの或る考えかたを否定した所からはじまる書物だから。

 そして、もし、「論理哲学論考」 を読み込んで、「或る程度」 理解できたとして、「哲学探求」 を読みはじめても霞を掴むような苛立ちを感じるでしょう、きっと。「論理哲学論考」 を 「或る程度」 理解できるようになれば、もう、ウィトゲンシュタイン 哲学に関して、中級くらいの力があるのですが、「論理哲学論考」 と 「哲学探究」 との隔たりに戸惑うでしょう。「論理哲学論考」 を読んだら、いきなし、「哲学探究」 を読まないで、(「哲学探究」 に至るまでの過程を記した) 「哲学文法」 を読んで下さい。

 




 

 ▼ 中級編

[ ウィトゲンシュタインの著作 ]
[ 邦訳 ]

 ● ウィトゲンシュタイン全集 [ 全10巻、補遺2巻 ]、大修館書店

 ● 反哲学的断章、丘沢静也 訳、青土社

 ● 色彩について、中村 昇・瀬嶋貞徳 共訳、新書館

 ● ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記 1930-1932/1936-1937、イルセ゛・ソ゛マウ゛ィラ 編、鬼界彰夫 訳、講談社

[ 英訳 ]

 ● TRACTATUS LOGICO-PHILOSOHICUS(German text with an English translation),
  Ogden C.K., Routledge&Kegan Paul Ltd.

 ● TRACTATUS LOGICO-PHILOSOHICUS,
  Pears D.F. and B.F. McGuinness, Routledge&Kegan Paul Ltd.

 ● Remarks on the Foundations of Mathematics,
  Wright G.H., R. Rhees and G.E.M. Anscombe, The MIT Press.

 ● PHILOSOPHICAL REMARKS,
  edited from his posthumous writings by Rush RHees,
  translated into English by Raymond Hargreaves and Roger White, BASIL BLACKWELL.

 ● PHILOSOPHICAL GRAMMAR,
  edited by Rush RHees,
  translated into English by Anthony Kenny, BASIL BLACKWELL.

 ● THE BLUE AND THE BROWN BOOKS,
  edited from his posthumous writings by Rush RHees,
  translated into English by Raymond Hargreaves and Roger White, BASIL BLACKWELL.

 ● PHILOSOPHICAL INVESTIGATION,
  translated into English by Anscombe G.E.M., BASIL BLACKWELL.

 ● ON CERTAINTY,
  edited by Anscombe and G.H. von Wright,
  translated into English by Denis Paul and G.E.M. Anscombe, BASIL BLACKWELL.

[ 講義録 ]

 ● ウィトゲンシュタインの講義 T ケンブリッジ1930-1932年
  テ゛ス゛モント゛・リー 編、山田友幸・千葉 恵 共訳、勁草書房

 ● ウィトゲンシュタインの講義 U ケンブリッジ1932-1935年
  アリス・アンフ゛ロース゛ 編、野矢茂樹 訳、勁草書房

[ 解説書 ]

 ● 雑誌「現代思想」特集 ヴィトゲンシュタイン、1980年 vol.8-6、青土社

 ● 雑誌「現代思想」総特集 ウィトゲンシュタイン、1985年12月臨時増刊、青土社

 ● ヴィトゲンシュタイン研究、哲学会 編、有斐閣

 ● ウィトケ゛ンシュタイン 論理哲学論考の研究 T(解釈編)、末木剛博、公論社

 ● 「哲学的探究」読解、黒崎 宏 訳・解説、産業図書

 ● 「論考」「青色本」読解、黒崎 宏 訳・解説、産業図書

 ● 言語ゲーム一元論、黒崎 宏、勁草書房

 ● ウィトゲンシュタインの夢(言語・ゲーム・形式)、奥 雅宏、勁草書房

 ● 思索のアルバム(後期ウィトゲンシュタインをめぐって)、奥 雅宏、勁草書房

 ● 社会科学の理念(ウィトゲンシュタイン哲学と社会研究)、P. ウィンチ 著、森川真規雄 訳、新曜社

 ● ウィトゲンシュタインのパラドックス、ソール A. クリフ゜キ 著、黒崎 宏 訳、産業図書

 ● 何も隠されていない、ノーマン・マルカム 著、黒崎 宏 訳、産業図書

 ● ウィトゲンシュタインと宗教、ノーマン・マルカム 著、黒崎 宏 訳、法政大学出版局

[ 伝記/評伝 ]

 ● ウィトゲンシュタイン評伝、B. マクキ゛ネス 著、藤本/今井/宇都宮/高橋 訳、法政大学出版局

 ● ウィトゲンシュタイン(1)、(2)、レイ・モンク 著、岡田雅勝 訳、みすず書房

 ● ウィトゲンシュタイン--その生涯と思索、クリスティアンヌ・ショウ゛ィレ 著、野崎次郎・中川雄一 訳、国文社

 ● Ludwig Wittgenstein, Alice Ambrose and Morris Lazerowitz, THOEMMES PRESS.

 



[ 読みかた ] (2006年 7月 1日)

 「中級編」 のなかに記載した書物を読もうとするほどのひとなら、もう、ウィトゲンシュタイン 氏の虜になったひとでしょうし (笑)、かれの哲学に関して、「或る程度の」 理解力をもっているひとでしょうから、読みかたに関して、同じように 「或る程度の」 理解力しか持ちあわせていない私が どうこう言わなくても、かれの書物を丁寧に読めるでしょう。

 ウィトゲンシュタイン 氏の哲学の中核思想は、私の理解では、「論理哲学論考」 のなかに示されている以下の考えかただと思っています。

  3・1432
  「複合記号 'aRb' は、『a が b に対して、関係 R にある』 ということを語っている。」 これは正しくない。
  「『'a' は 'b' に対して、ある関係にある』 ということは aRb ということを語っている。」 これが正しい。

  3・144
  状況を記述することはできる。だが、それを名ざすことはできない。

 3・1432 のなかで、引用符 (') を使って記述されている a とか b とか aRb は、記号 (言語) として記述された対象を指示しているのではなくて、記号 (言語) そのものを対象としています。以上の文が示していることは、われわれは対象 (名辞) の 「配列のしかた」 を記号で示すことはできないのであって、それを実際の文のなかで読み取るしかないということです。すなわち、現実の事態と (それを記述した) 文のあいだには、なんらかの射が成立しているが、現実的事態の配置と文 (記号) の配列のあいだには、双射 (あるいは、もっと、拡大して、全単射) が成立しないことを言っています。3・1432 は、解釈次第では、かれが中期・後期に示した 「文法」 と 「モテ゛ル 探しの否定」 を暗示しているとも言えます。
 そして、以上の考えかたは、かれの哲学のなかで一貫していたと私は思います。ただ、その考えかたを写像を前提にしているか、それとも、文脈 (生活様式) を前提にしているか、という点が前期の哲学と後期の哲学の違いだと思います。「哲学探究」 の思想が分析哲学に影響を及ぼしたと言われていますが、その思想の原型は、「論理哲学論考」 のなかにあると思います。「哲学探究」 は、「論理哲学論考」 の写像理論を否定しましたが、ふたつの書物の根底にある考えかたは、「記号 (言語) として記述された対象を指示しているのではなくて、記号 (言語) そのものを対象として」 いる点にあるでしょうね。
 そして、この考えかたを根底にして私は TM (T字形 ER手法) を作りました。

 




 

 ▼ 辞書

 ● ウィトゲンシュタイン小事典、山本 信・黒崎 宏 編、大修館書店

 ● A Wittgenstein Dictionary, Hans-Johann Block, BASIL BLACKWELL

 



[ 読みかた ] (2006年 7月 1日)

 ウィトゲンシュタイン 氏の書物を丁寧に読むためには、いずれの辞典も てもとに置いておきたい。
 たとえば、私は、「論理哲学論考」 のなかに記述されている 「シェファー氏 の棒記号 『|』」 の意味も ウィトゲンシュタイン 氏が示した 「基本的論理操作としての否定連言」 N(ξ) も、当初、理解できなかったのですが、「ウィトゲンシュタイン小事典」 (山本 信・黒崎 宏 編) を調べて理解できました。

 まず、書物の全体を通読したら、次に、これらの辞典を案内役にして、「論理哲学論考」 「哲学文法」 および 「哲学探究」 を 逐語的に 丁寧に 読んで下さい。「論理哲学論考」 を一読して理解できたというひとを信用しないほうがいい。なぜなら、この書物は、当時、天才的な数学者 ラムゼー をはじめとして優秀な哲学者たちが、わざわざ、ウィトゲンシュタイン 氏を訪問して解読 (精読) したくらいの書物なのだから、われわれ シロート が一読して理解できる訳がない。もし、一読して理解できたと言っているひとがいれば、みずからの理解できない点を読み飛ばして、みずからの理解できる所のみを拾った都合の良い読みかたをしているにすぎないでしょうね。書物を批評するのなら、みずからに都合の良い読みかたをして、おおざっぱな理解で批評するのは 「誤読」 と同じです。

 




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