2002年 3月 3日 作成 日本史 (通史資料) >> 目次 (作成日順)
2006年 8月16日 更新  


 今回は、資料集 (通史) を紹介する。
 時代別 (およびテーマ別) の資料 (史料) については、後日、扱う。


 ▼ 入門編

 ● 史料でたどる 日本史事典、佐藤和彦・長岡 篤・樋口州男 編、東京堂出版
  [ 高校生用副読本 ]

 ● 詳説 日本史 史料集、笹山晴生 他編、山川出版社
  [ 高校生用副読本 ]

 ● 史料による日本史、笠原一男・野呂肖生 編、山川出版社
  [ 高校生用副読本 ]

 



[ 読みかた ] (2006年 8月16日)

 私が史料を読んでいる理由は、日本史を、通史として、「原典」 に沿って学習するためではない。すなわち、史料を系統立てて読んでいる訳ではない。また、1つの歴史的事件に関して、史料を網羅的に あつめて、できごとを忠実に再現しようとしている訳でもない。日本史の専門家たちが丁寧に整理なさった史料集を 私は 「文庫本の随筆集」 を読み流すように走り読みしているにすぎない。

 上記の史料集は、いずれも、高校生向けの テキスト である。それらの史料集に記載されている史料そのものが、抜粋文なので、史料と云うには十全ではないし、記載されている抜粋文も、もし、100年を単位として区切って史料を数えてみれば、100年のなかで、せいぜい、いくつかの史料 (の抜粋) が拾い出されているにすぎない。歴史に興味を抱いているひとであれば、上記の史料を集中して読めば、数日で読破できる。

 大学で日本史を専攻しないかぎり、こういう史料集は、高校を卒業したら、ふつう、読まないでしょうね。そして、もし、こういう史料集を読んでも、「教養」 に値するかどうかは疑わしいと思う。私は、「教養」 という意味を 「幅広い知識と (それを滋養にした) こころの豊かさ」 という意味で使っています。歴史学には歴史学としての 学問のやりかた があるのですが--111 ページを参照されたい--、歴史の専門家でない われわれ シロート は、すでに編修された数の少ない史料しか読まないので、「歴史の流れ」 を観ることなどできる訳がない。われわれ シロート が そういう史料を読んでも、せいぜい、「そういう史料もある」 という認識に止まる。すなわち、そこにあるものを 「たしかにある」 と認めるに止まる。1つの史料の存在が 1つの歴史的事実なのである。そして、その史料の信憑性を判断するのが歴史家の職責であって、われわれ シロート は、史料の信憑性を判断できるほどの専門的な知識・技術がない。

 歴史の専門家たちが信憑性を検証した上質の史料を読んでいて感じる点は、歴史の流れのなかで、数え切れないほどの人たちが生まれ社会生活を営み死んでいったが、群衆の社会現象というのは、振り返ってみれば、「懲りない面々」 の 逆上 (のぼ) せた行為なのかしら という点である。史料集が政治・経済を主体としているので、そういう読後感が遺るのかしら。
 上記の史料 (「史料による日本史」、笠原一男・野呂肖生 編、山川出版社) のなかに収められていた石川啄木の文を読んで、私は苦笑いしました。

    「国家は強大でなければならぬ。我々は夫 (それ) を阻害すべき何等 (なんら) の理由も有 (も) ってゐない。
    但し我々だけはそれにお手伝するのは御免だ!」 これ実に今日比較的教養ある殆ど総ての青年が国家と
    他人たる境遇に於て有 (も) ち得る愛国心の全体ではないか。さうしてこの結論は、特に実業界などに
    志す一部の青年の間には、更に一層明晰になってゐる。曰く、「国家は帝国主義で以て日に増し強大に
    なって行く。誠に結構な事だ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。正義だの、人道だの
    といふ事にはお構ひなしに一生懸命儲けなければならぬ。国の為なんて考へる暇があるものか!」
                                            (石川啄木 「時代閉塞の現状」、1910年)

 「史料による日本史」 によれば、当時、日露戦争に勝って、「欧米に追いつき追い越せ」 という国家目標が達成されたときに、個人主義に徹して実利を追求する風潮が強まり、「成功」 という ことば が流行したそうです。石川啄木は、そういう実利主義の傾向を非難して、そういう風潮が強くなった理由は、時代が絶望的で閉塞感に満ちているからだと論じたそうです。

 私は、当時の風潮を現代の風潮に対比して、「歴史はくり返す」 などという紋切り型の言いかたを持ち出すつもりなどない。当時と現代では、社会制度 (政治・経済・教育など) がちがうので、現象が似ているからといって、同じ理由を探すことができない。もし、「制度」 を昇華したら、「本質」 が同じであると云うのであれば、歴史の論点ではなくて、文学の論点でしょうね。歴史とは 「制度」 を無視して語ることはできない。もし、「制度」 を昇華して、「本質」 が同じであると云うのであれば、同じ頃 (1903年) に、藤村操が 「煩悶」 自殺した事実を示せば、「時代の本質」 などふっとんでしまうでしょうね。「人生不可解」 と感じて自殺する学徒は、現代ではいないでしょうから。

 現存する・この史料から言えることは、「正義だの、人道だのといふ事にはお構ひなしに一生懸命儲けなければならぬ。国の為なんて考へる暇があるものか!」 と考えて、「儲けたら 『成功』」 したことになる、というふうな風潮が 100年前の時代にあった、ということしかない。その点を私は 「史料を 『文庫本の随筆集』 のように読む」 と言ったのです。われわれ シロート は、史料を せいぜい そういうふうにしか読むことができない。

 





 ▼ 中級編

 ● 日本史料集成(上・下)、下中彌三郎、平凡社

 ● 日本史資料(上・下)、家永三郎 監修、東京法令出版

 ● 訳註日本史々料(古代・中世・近世・近代)、今川寛司・小川光暘 著、協和書房

 ● 新輯 日本思想の系譜 文献資料集(上・下)、小田村寅二郎 編、時事通信社

 ● 史料による日本の歩み 古代編、関 晃・井上光貞・児玉幸多 編、吉川弘文館

 ● 史料による日本の歩み 中世編、安田元久・大野達之助・児玉幸多 編、吉川弘文館

 ● 史料による日本の歩み 近世編、大久保利謙・児玉幸多・箭内健次・井上光貞 編、吉川弘文館
  [ 改訂版が「新版 史料による日本の歩み 近世編」、児玉幸多・佐々木潤之介 編 として出版されている。]

 ● 史料による日本の歩み 近代編、大久保利謙・児玉幸多・箭内健次・井上光貞 編、吉川弘文館

 ● 明治維新史料選集 上 幕末編、東京大學史料編纂所編纂、東京大學出版會

 ● 明治維新史料選集 下 明治編、東京大學史料編纂所編纂、東京大學出版會

 ● 近代史史料、大久保利謙 他編、吉川弘文館

 ● 史料大系 日本の歴史 第7巻 近代、林屋辰三郎 他編、大阪書籍

 ● 憲法構想(日本近代思想大系)、江村栄一 編、岩波書店

 ● 史料 日本近現代史U(大日本帝国の軌跡)、歴史科学協議会 他編、三省堂

 ● 日本史史料 [ 5 ] 現代、歴史学研究会 編、岩波書店

 ● 治安維持法獄中史料、赤嶋秀雄 編、叢文社

 ● 二・二六事件 獄中手記・遺書、河野 司 編、河出書房新社

 ● 新訂 二・二六事件 判決と証拠、伊藤 隆・北 博昭 共編、朝日新聞社

 ● 知られざる裁判干渉、鶴岡静夫 著、雄山閣

 ● 日本近現代史料選(増訂版)、安岡昭男 編、芸林書房

 ● 現代社会の諸相、角家文雄 著、学陽書房

 ● 資料 戦後二十年史 5(教育、社会)、日本評論社

 ● 日本戦後史資料、塩田庄兵衛・長谷川正安・藤原 彰 編、新日本出版社

 ● 日米関係資料集 1945-97、細谷千博 他編、東京大学出版会

 ● 国際条約集、山本草二 編、有斐閣

 ● 解説 条約集、小田 滋・石本泰雄 編、三省堂

 ● 資料集 20世紀の戦争と平和、吉岡吉典・新原昭治、新日本出版社

 



[ 読みかた ] (2006年 8月16日)

 「入門編」 のなかに記載した史料集は 「読む」 資料として使っていますが、この 「中級編」 に記載した史料集は、「調べる」 資料として、私は使っています。「中級編」 に記載した史料を私は読んでいる訳ではない。膨大な資料のなかから、「時代の特徴」 を示す史料として、どの資料を選ぶかは歴史家の眼識でしょうね。

 私は、「文学青年」 だったので、昭和時代に起こった事件として、「三島由紀夫の割腹自殺」 が衝撃でした。三島由紀夫が割腹自殺する直前に、市ヶ谷台の自衛隊駐屯所の バルコニー に立って、自衛隊員に向かって、「檄」 を飛ばしている映像が、当時、ニュース に流れました。その映像を私は まざまざと記憶しています。三島由紀夫が語った 「檄」 のなかで、以下の ことば を私は強烈に記憶しています。

     四年待ったんだ。最後の三十分間だ、最後の三十分間に...

 三島由紀夫の 「檄」 は、所々、自衛隊員の ヤジ に掻き消されて、聞き取りにくかった。そして、私は、「檄」 の全文を知りたかった。所蔵している史料を調べたら、「現代社会の諸相」 (角家文雄 著、学陽書房) のなかに、「檄」 が収められていました。三島事件は、二・二六事件を抜きにして語ることはできない。「現代社会の諸相」 は、当初、「昭和時代 (15年戦争の資料集)」 として、1973年に初版が出て、そのあとで、増補改訂されました。「昭和時代 (15年戦争の資料集)」 では、編者 (角家文雄 氏) は、以下の資料を示しています。

  ( 1) 満州事変
  ( 2) 桜会
  ( 3) 五・一五事件
  ( 4) 転向
  ( 5) 天皇機関説事件
  ( 6) 日本浪漫派
  ( 7) 二・二六事件
  ( 8) 国体の本義
  ( 9) 日中戦争
  (10) 太平洋戦争
  (11) 学徒出陣
  (12) 戦時下の新聞・放送・文芸
  (13) ヒロシマ
  (14) 極東国際軍事裁判
  (15) 講話条約
  (16) 戦後の文芸
  (17) 安保事件
  (18) 三島事件
  (19) 日中国交回復

 この体系を観れば、「国体の本義」 を中核にして、「政治と精神」 との しのぎあい を テーマ にしていることが理解できるでしょう。三島由紀夫は、二・二六事件に関して、以下のように述べていました (「二・二六事件----『日本主義』 血みどろの最後」、週刊読売 43年 2月23日号)。

   二・二六事件を肯定するか、否定するかといふ質問をされたら、私は躊躇なく肯定する立場に立つ者である...

   私は皇道派と統制派の対立などといふ、言い古されたことを言ってゐるのではない。血みどろの日本主義の
   矢折れ刀尽きた最後が、私の目に映る二・二六事件の姿であり、...

   又、世界恐慌以来の金融政策・経済政策の相次ぐ失敗と破綻は看過されてゐる。誰がその責任をとったのか。
   (略) 一人として一死以て国を救はうとする大勇の政治家はなかった。
   戦争に負けるまで、さういふ政治家が一人もあらわれなかったことこそ、二・二六事件の正しさを裏書きして
   ゐる。青年が正義感を爆発させなかったらどうかしてゐる。
   しかも、戦後に発掘された資料が明らかにしたところであるが、このやうな青年のやむにやまれぬ魂の奔騰、
   正義感の爆発は、つひに、国の最高の正義の容認するところとならなかった。

   皮肉なことに、戦後二・二六事件の受刑者を大赦したのは、天皇ではなく、この事件を民主々義的改革と
   認めた米占領軍であった。

 
 三島由紀夫の作品のなかに 「憂国」 があります。三島由紀夫は、日本を代表する小説家でしたが--日本人で初めて ノーベル 文学賞を授与された川端康成は、「(私よりも) 三島くんのほうが先に受賞に値する」 と言ったほど、三島由紀夫は世界的な作家でしたが [ ちなみに、川端康成と三島由紀夫は師弟関係にあったのですが ]、「憂国」 に関しては、文芸評論家たちの評価は低いようです。「あんなもの文芸作品ではない」 という酷評もありました。たしかに、「仮面の告白」 「金閣寺」 や 「豊饒の海」 に較べたら、短編の 「憂国」 は、大きな構成をもっていないので、文体の力で成り立っているにすぎないかもしれない。ただ、「憂国」 は、私の大好きな作品の一つです。

 亀井勝一郎は、「歴史と人間」 に関して、以下の アフォリズム を遺しています (「思想の花びら」)。

   正確で詳細な資料に出会ったことで安心してはならない。それはさらに深い秘密に直面したということで、
   必ずしも事態や人間が明確になったことを意味するものではない。

 

 





 ▼ 読史備要

 ● 読史備要、東京大学史料編纂所 編、講談社

 ● 近代日本政治史必携、遠藤茂樹・安達叔子 著、岩波書店

 ● 日本史総覧、小西四郎・児玉幸多・竹内理三 監修、新人物往来社

 ● 日本史資料総覧、村上 直・高橋正彦 監修、東京書籍

 ● 総合 国史研究要覧、豊田 武 監修、歴史図書社

 



[ 読みかた ] (2006年 8月16日)

 歴史を振り返るときに、それぞれの時代のなかで設置されていた 「制度」 を抜きにして語ることはできない。もし、それぞれの時代のなかで設置されてきた 「制度」 を無視して、「人間の一般的性質」 を語るのであれば、「歴史」 の視点ではなくて、文芸の論点でしょうね。
 歴史が 「制度」 を抜きに語れないのであれば、歴史を学習する際には、時代ごとに、「制度」 をまとめた資料をてもとに置いて つねに参照したほうが良い。その資料が 「読史備要」 と云われる書物である。

 専門的な資料として、私は、「読史備要」 (東京大学史料編纂所 編、講談社) と 「日本史総覧」 (小西四郎・児玉幸多・竹内理三 監修、新人物往来社) を重宝している。

 さらに、「通史の概説書」 (111ページ 参照) のなかに記載した 「図録」 「日本史 モノ 事典」 や有職故実の辞典 (27ページ 参照) も、生活文化のなかで使われていた モノ (事柄・事物・道具) を具体的に知るために役立つ。私は、ふだん--専門的な調査をしないときには--、「日本史 モノ 事典」 (平凡社 編) を重宝している。この事典は、いわば DUDEN のような書物である。この文を綴っているときに、「日本史 モノ 事典」 を参照していたら、図説に惹かれて、文を綴ることを忘れて、暫し、読みふけっていました (笑)。

 





 ▼ 史籍解題

 ● 史籍解題辞典(上巻) 古代・中世 編、竹内理三・滝沢武雄 編、東京堂出版

 ● 史籍解題辞典(下巻) 近世 編、竹内理三・滝沢武雄 編、東京堂出版

 ● 日本史小百科 古記録、飯倉晴武 著、東京堂出版

 ● 文献リサーチ 日本近現代史、佐藤能丸 編、芙蓉書房出版

 



[ 読みかた ] (2006年 8月16日)

 これらは、資料を調べるために使う書物です。「史籍解題」 という名称が示すように、これらの書物は、史料の中身を おおまかに解説した書物です。私は、これらの書物を、いずれ使うだろう--史料を探すときに役立つだろう--と思って買い集めたのですが、いまだ、まともに使ったことがない (苦笑)。

 私が歴史を学習しはじめた理由は、私が生まれ育った昭和時代を知りたかったことと、「日本人の精神史」 を まとめたいという研究目的でした。「日本人の精神史」 を研究する際に、史料を探すために役立つだろうと思い、「史籍解題」 を買い集めた次第です。

 




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