2002年 7月15日 作成 アウシュヴィッツ >> 目次 (作成日順)
2007年 1月 1日 更新  


 今回は、アウシュヴィッツ に関する文献を紹介する。

 きょう紹介する文献一覧に関して、なんらかの コメント を附与すれば、伝えたいことを外してしまう危険性が極めて高いので、この テーマ に対して関心があれば、紹介した文献を、自ら、直接、読んでください。

 1つだけ コメント を綴れば、(文献一覧が示しているように、) 小生は 「子ども」 たちの観点から虐殺の惨事を観ている、ということを明示しておきます。



[ 読みかた ] (2007年 1月 1日)

 この 「読書案内」 (アウシュヴィッツ) を記載したあとで、多くの人たちから、「どうして、アウシュヴィッツ の書物を読んでいるのですか」 と問われました。そういうふうに問われても、私は、確実な返事をもっている訳ではない。

 多量殺人 (民族の殲滅) という行為に対して 私は怒りを感じて読んでいる訳でもないし、アウシュヴィッツ という、人類史上、希有な施設を調べるために読んでいる訳でもない。歴史を外側から観て、歴史的な できごと から、どんな教訓を学ぶのも、歴史を読むひとの自由ですが、私は、そういう読みかたをしたくはないし、そして、そういう読みかたをしてこなかった。

 アウシュヴィッツ から生還した人たちの体験談を読んで、想像を絶する かれらの辛い人生を (たとえ、書物を通して感じるにすぎないとしても、) 私が追体験すると言えば、リビング・ルーム で、コーヒー を飲みながら、戦争映画を観ている状態のなかで感じる興味と同じにすぎないでしょうね。私は、そういう読みかたをしたくはないし、そして、そういう読みかたをしてこなかった。

 この 「読書案内」 で記載した書物の数など、アウシュヴィッツ で殺された人たちの数に比べたら、些少にすぎない。しかも、それらの書物は、多くの人たちに読んでほしいと願って綴られたはずなのだけれど、「惨事を理解して同情しようとする」 読者を拒絶する垣根があって、ことば を使って伝えきれないという 「著者の苛立ち (あるいは、諦念)」 を感じます。

 歴史資料があれば、歴史を ほんとうに理解できるのか、という基本的な・根本的な問いを アウシュヴィッツ は提示しているようです。そして、この点に、歴史の研究家 (専門的な歴史家) の悩みがあるのかもしれない。「... の実態に迫る」 などという安直な journalese は、「歴史」 の入口で沈黙せざるを得ないでしょうね。「過去は過去のまま現在のうちに生きている」 としか言いようがない。

 さて、アウシュヴィッツ の できごと に対して、われわれができることは、アウシュヴィッツ を追体験するのではなくて、われわれが、めいめいの やりかた で 「蘇らせる」 しかないのではないでしょうか。歴史資料を読んで、みずからの生活体験と照らして、過去の人物を蘇生させるしかないのではないでしょうか。当然ながら、この やりかた は、歴史を 「現代風に」 読み下すということではない。現代に生きている われわれ とはちがう文化のなかで生活していた人物を蘇らせるためには、われわれは、労をとらざるを得ない。そういう労をとるからこそ、みずからの生活体験を起点にしても、ついには、みずからの視点が消え去った状態で歴史上の人物が浮かんでくるのではないでしょうか。私にとって、歴史資料は、人物を浮かべるための 「環境設定の パラメータ (変数)」 にすぎない。

 こういうふうに 「歴史」 を読む やりかた は、我流にすぎないのかもしれない。でも、こういうふうにしか私には読めないし、こういうふうに読んだ 「歴史」 は、読書のつど、なんらかの痕跡を私の性質に遺してきたようです。こういう読みかたは、我流かもしれないけれど、私は、読書も、生身の友人と同じ つきあい だと思っています。私の友人が、私の経験したことのない体験を語れば、私は聴き入ります。もし、友人の体験が私の興味を促したなら。歴史上の できごと も、そういう性質ではないでしょうか。

 さて、私は、どうして、アウシュヴィッツ を読んでいるのか、、、。
 小林秀雄 氏 (文芸評論家) は、「歴史」 に関して、以下の洞察を遺しています。

   私達の歴史に対する興味は、歴史の事実なり、歴史の事件なりの どうにもならぬ個性に結ばれている。
   ある事件が、時空の上で、判然と極限され、他の どんな事件とも交換が利かぬ、そういう風な過去の
   諸事件の展開が、現在の私達の心中に現前していなければ、私達の歴史的興味は、決して発生しない。

 もし、そうだとすれば、アウシュヴィッツ が、どうして、私のなかで現前していたのか、、、。
 アウシュヴィッツ を読みながら、いっぽうで、死刑囚に関する書物を読んでいたので、たぶん、当初、極限状態 (確実に殺されるとわかる状態、しかも、みずからの ちから で殺されることを回避できない状態) に置かれたひとの気持ちを知りたかったのだと思う。私の 「文学青年」 としての気質が そういう興味をもっていたのかもしれない。そのときに、私が読み込んだ書物は、たしかに、そういう類の書物でした。たとえば、エリ・ヴィーゼル 氏の 「夜」 や ヴィクトル E.フランクル 氏の 「夜と霧」 だったから。

 しかし、読書を進めているうちに、私の 「視点」 は変わっていったようです。というのは、アウシュヴィッツ を 「子ども」 の眼で観るようになったから。では、私は、どうして、アウシュヴィッツ を 「子ども」 の眼で観るようになったのか、、、。この点を、私は、巧みに まとめることができない、、、。シオラン 氏 (哲学者) は、以下の ことば を遺しています。

   かっては自分もひとりの子どもであったことを想い出す。それがすべてだ。

 この感性が私の気質に合うのかもしれない。
 子どもは、みずからが渦中にいる社会の しくみ を知らない。子どもでいる状態は、親の庇護のなかで育っている段階ですが--その状態を 「純真な」 とか 「素朴な」 とか 「未熟な」 という陳腐な言いかたを私はしたくないし、しかも、当時の子どもたちは、社会が尋常でないことを実感していたでしょうし、実際、ゲットー では、親を亡くして、独力で生き延びなければならない子どもたちも、多数、いましたが--、親といっしょに アウシュヴィッツ に連れてこられて、親から離されて銃殺された 子ども たちの意識を想像してみてください。銃をもった兵たちが子どもたちを森のなかに連れ出して並ぶように命令したときに、子どもたちは、殺されることを直知したでしょうし、銃弾を浴びる直前に、泣きじゃくって 「どうして」 と呻いたかもしれない。この 「どうして」 という問いが--子どもの眼に写った理不尽な 「おとな の振る舞い」 に対する疑問が--私の 「視点」 の すべて です。

 歴史を読むことは、私にとって、過去を想い出すことと同じ行為なのかもしれない。

 





 ▼ [ 体験談 ]

 ● 、エリ・ヴィーゼル 著、村上光彦 訳、みすず書房

 ● 死者の歌、エリ・ヴィーゼル 著、村上光彦 訳、晶文社

 ● 夜と霧、ヴィクトル E.フランクル 著、霜山徳爾 訳、みすず書房

 ● アウシュヴィッツ は終わらない、プリーモ・レーヴィ 著、竹山博英 訳、朝日選書 151

 ● アウシュヴィッツ の地獄に生きて、ジュディス S.ニューマン 著、千頭宣子 訳、朝日選書 479

 ● マウス、アート・スピーゲルマン 画、小野耕世 訳、晶文社

 ● マウス U、アート・スピーゲルマン 画、小野耕世 訳、晶文社

 ● ワルシャワ・ゲットー 日記 (上・下)、ハイム A.カプラン 著、アブラハム I.キャッチ 編、松田直成 訳、風行社

 ● ゲットー 脱出 (ある ユダヤ 人の生還)、アブラム・ランクマン 著、大谷喜明・大谷京子 訳、三省堂

 ● アウシュヴィッツ の少女、キティー・ハート 著、吉村英明 訳、時事通信社

 ● エヴァ の時代 (アウシュヴィッツ を生きた少女)、エヴァ・シュロッス 著、吉田寿美 訳、新宿書房

 ● 地獄を見た少年、B.スパンヤード 著、大浦暁生・白石亜称子 訳、岩波書店

 ● 炎を目の前にして、トルーディ・ビルガー 著、室井俊通 訳、日本エディタースクール出版部

 ● 死の影で遊んだ ホロコースト の子どもたち、ジョージ・アイゼン 著、下野 博 訳、立風書房

 ● 心の日記 (14歳のナチス収容所)、タチアーナ・ワシリエワ 著、高野享子 訳、講談社

 ● レナ の約束、レナ K.ゲリッセン、ヘザー D.マカダム 著、古屋美登里 訳、清流出版

 ● 僕は ナチ にさらわれた、アロイズィ・トヴァルデッキ 著、足達和子 訳、共同通信社

 ● 運命ではなく、ケルテース・イムレ 著、岩崎悦子 訳、国書刊行会

 ● アウシュヴィッツ の子どもたち、アルヴァン・マイヤー 著、三鼓秋子 訳、思文閣出版

 ● ホロコースト の仔羊、ジャック・クーパー 著、小宮 隆 訳、廣済堂

 ● 僕は銃と鉄条網に囲まれて育った、トマス・ジーヴ 著、野村美紀子 訳、どうぶつ社

 ● 逸脱、ルーチェ・デーラモ 著、齋藤ゆかり 訳、作品社

 ● 生きつづける (ホロコースト の記憶を問う)、ルート・クリューガー 著、鈴木仁子 訳、みすず書房

 ● アウシュヴィッツの奇蹟 (死の国の音楽隊)、シモン・ラークス、ルネ・クーディー 著、大久保喬樹 訳、音楽之友社

 ● ジプシー 収容所の記憶 (ロマ 民族と ホロコースト)、金子マーティン 編、岩波書店

 ● アウシュヴィッツ 収容所(所長 ルドルフ・ヘス の告白遺録)、片岡啓治 訳、サイマル出版会

 




 ▼ [ 写真編、絵画集 ]

 ● 絵画記録 テレジン 強制収容所 アウシュヴィッツ に消えた子どもたち
  <アウシュヴィッツ に消えた子らの遺作展> を成功させる会 編、ほるぷ出版

 ● テレジン 収容所の小さな画家たち詩人たち、野村路子 編著、ルック

 ● 写真 ドキュメント アウシュヴィッツ 収容所、グリンピース出版会

 ● 黄色い星、G.シェーンベルナー、自由都市社

 ● ホロコースト (シリーズ 20世紀の記憶)、毎日新聞社

 ● 写真物語 アウシュヴィッツ の手紙、平和博物館を創る会 編、平和のアトリエ

 ● アウシュヴィッツ の記憶、平和博物館を創る会・平和の アトリエ 編、三省堂

 ● 死の沈黙、ディルク・ライナルツ、クリスティアン・グラース・フォン・クロッコフ 編、石井正人 訳、大月書店

 ● 決して忘れない (ナチス 虐殺の記録)、[ポーランド版の翻訳 ]、二見書房

 ● 写真記録 アウシュヴィッツ(1〜6)、大江一道 監修、野村路子 編集構成、ほるぷ出版

 




 ▼ [ 解説書 ]

 ● ヨーロッパ・ユダヤ 人の絶滅 (全 2巻)、ラウル・ヒルバーグ 著、望田幸男・原田一美・井上茂子 訳、柏書房

 ● ナチ 強制・絶滅収容所、マルセル・リュビー 著、菅野賢治 訳、筑摩書房

 ● ホロコースト 全史、マイケル・ベーレンバウム 著、芝 健介 [日本語版監修 ]、創元社

 ● ホロコースト の真実(上・下)、デボラ E.リップシュタット 著、滝川義人 訳、恒友出版

 ● ホロコースト (歴史的考察)、マイケル R.マラス 著、長田浩彰 訳、時事通信社

 ● アウシュヴィッツ の悲劇、K.スモーレン 著、小谷鶴次 訳、柳原書店

 ● オーストリア 夜と霧、ゴードン J.ホロビッツ 著、駐文館 訳、駐文館

 ● 戦争と子ども (1939-1945 ポーランド) [ ナチス にさらされた子どもたちの受難 ]
  グリーンピース出版会 編訳、グリーンピース出版会

 ● 子どもたちは泣いたか (ナチズム と医学)、シュヴァルベルク 著、石井正人 訳、大月書店

 ● 普通の人びと (ホロコースト と第 101警察予備大隊)、クリストファー・ブラウニング 著、谷 喬夫 訳、筑摩書房

 ● ナチズム と強制売春
  クリスタ・バウル 著、イエミン恵子・池永記代美・梶村道子・ノリス恵美・浜田和子 訳、明石書店

 ● ヒトラー 独裁下の ジャーナリスト たち、ノルベルト・フライ、ヨハネス・シュミッツ 著、五十嵐智友 訳、朝日選書 560

 ● 思いやる勇気 (ユダヤ 人を ホロコースト から救った人びと)
  キャロル・リトナー、サンドラ・マイヤーズ 著、倉野雅子 訳、サイマル出版会

 ● 強制収容所における人間行動、E.A.コーエン 著、清水幾太郎・高根正昭・田中靖政・本間康平 訳、岩波書店

 ● 窒息した言葉、サラ・コフマン 著、大西雅一郎 訳、未知谷

 

  << もどる HOME すすむ >>
  読書案内