2003年 8月 1日 作成 相手意識と目的意識 >> 目次 (作成日順)
2008年 8月16日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、相手意識と目的意識についてお話しましょう。

 
意見の伝達では、相手意識と目的意識をもっていなければならない。

 「伝達」 という営みのなかでは、まず、自らの主張・意見を伝えようとする相手が だれであるか を確かめなければならない。そのことを 「相手意識をもつ」 といいます。また、自らの主張・意見を どういう目的で 相手に使えるかを考えなければならない。そのことを 「目的意識をもつ」 といいます。

 相手意識と目的意識は、書物であれば、「はしがき」 のなかで述べるのが ルール です。
 たとえば、拙著 「IT コンサルタント の スキル」 では、私は、以下のように記述しました。

 「本書は、これから IT コンサルタント になりたいと思っている人々の学習を助けることを目的としている。(略)
  1人の コンサルタント が修めていなければならない知識枠を網羅的・包括的に扱った (略)
  本書が扱った知識・技術は 『基本中の基本』 であって、本書は、あくまで、『起点』 にすぎない。
  本書を 『起点』 にして、さらなる研鑽を積まれることを期待したい。」

 したがって、拙著に対する批評が──讃辞であれ、非難であれ──、「はしがき」 のなかで述べた相手意識と目的意識から外れていれば、「的外れ」 になります。

 
プレゼンテーション では、聞き手の反応を判断して、話の進めかたを調整しなければならない。

 プレゼンテーション では、相手と目的は、書物に比べて、もっと、つよく意識されなければならないでしょうね。
 なぜなら、「生身の」 人々が眼前にいるのですから。(one-way traffic な) 書物に比べて、プレゼンテーション のように、「生身の」 人たちに対する伝達は、(two-way traffic なので) 「即、反応」 が返ってくるのが特徴です。逆に言えば、聴衆の反応を判断しながら、プレゼンテーション のやりかたを調整しなければならない。
 したがって、同じ主題を、2 回、しゃべったら、同じ トーン にはならない、というのが 「生演奏」 の特徴 (醍醐味) です。

 プレゼンテーション のやりかたを途中で調整するためには、話し手は沈着冷静でなければならない。
 私は、過去 20年間、数え切れないほど、講演や セミナー をやってきましたが、いまだに、壇上に立つまでは怖じ気づいていますし、壇上に立っても、なかなか、沈着冷静にはなれない (苦笑)。でも、聞いている人たちの反応を判断して、プレゼンテーション を途中で調整することは私にもできる。「佐藤正美の セミナー は、同じ テーマ を扱っていても、同じ進めかたにはならない。」 と言われています(笑)。

 
聴衆のなかから、1 人を選んで、その人に向かって、言いたいことを伝えるようにすればよい。

 人前に出ることに対して臆病な私が、どうして、プレゼンテーション を、途中で、「冷静に」 調整できるのかと言えば、聴衆のなかから、1人を選んで、その人に向かって、言いたいことを伝えるようにしているからです。聴衆全体を対象にするのではなくて、一人を相手意識の対象にすればいい。その人の反応 (顔つきや身振り) を観ていればいい。
 そういう相手を、3人ほど選んだほうがいいでしょうね。3人は、聴講席の左側から 1人、右側から 1人、真ん中から 1人を選べばいい。そして、彼らを説得するようにしゃべればいい。

 書物の執筆では、読者の代表として、身近な人たちのなかから、一人の具体的な人物を頭のなかに思い浮かべて、文章を綴るほうが ペン を運びやすい。「人々は」 という大上段な言いかたに比べて、「あなたは (あるいは、私は)」 というほうが、言葉が出やすいし、それにつれて他の言葉が出やすい。
 プレゼンテーション でも、同じように、聴衆のなかから、一人を選んで説得するように しゃべって、反応 (顔つき) を観ながら、プレゼンテーション の進めかたを調整すればいいでしょう。



[ 読みかた ] (2008年 8月16日)

 「問わず語り」 の エッセー は、或る一人 (TH さん) に対して語る文体で綴られています。また、本 エッセー のなかで綴ったように、「プレゼンテーション でも、聴衆のなかから一人を選んで説得するように しゃべる」 やりかたを私が学んだのは、ギットン 氏 (哲学者) の書物です。ギットン 氏は、かれの著作 「読書・思索・文章」 のなかで以下のように助言しています。

    初心者に有益な助言としては、次のように言いたい。「はじめは一人称で書きたまえ。『人々は』 と
    いうより、『私は』 というほうが、ずっと文章らしくなる。」 小説家でも、最初、全体を膨大な告白の
    ように 『私』 形式で書き、それから三人称形式に書き直すことがある。おそらくこれは、『私』 という
    ことばを用いると、いやでも内部へ入りやすくなるからであろう。

 そして、ギットン 氏は、かれの著作 「新しい思考術」 を、「イレーヌ」 という名の人物に向かって──「イレーヌ」 は、たぶん、若い女性と想像されますが、実存しない人物でしょうし、哲学の学習を進めている具体的な人物として思い描かれていて──語るような文体で執筆しています。

 ギットン 氏から学んだ 「一人称」 法を私は実際にやってみて確かに語りやすい (あるいは、文を綴りやすい) やりかただと実感しましたので、以後、私は、「一人称」 法を実践してきました。「すべての (∀x)」 というふうに無限の (あるいは、列挙できないほど多数の) 物を対象にして思考するよりも、「... が存在する (∃x)」 というふうに、そして、その対象が身近な物であれば、具体的に・詳細に 記述することができるので、話 (あるいは、文) が具体性を帯びるでしょう。ロジック の訓練をされた人たちは、「すべての (∀x)」 という語を使うことに対して慎重です。

 文は、たとえ、相手意識として 「一人称」法を使ったとしても、one-way traffic になるでしょう。いっぽう、プレゼンテーション は、その場で 「反応」 が返ってくるので、話を進めている最中に、聴衆の 「反応」 を鑑みて、話の進めかたを調整しなければならないこともあります。プレゼンテーション も、なんらかの意見を述べることを目的としていれば、その意見を一貫して伝えることが大切なのですが、たとえば、その意見に対して、「どうも賛同しかねる」 という雰囲気が聴衆のなかに濃厚に漂えば、あらかじめ用意していた (その意見の) 正当性を示す理由を詳細に補強したり、いくつかの反対意見に対して逐一具体的に対応して反対意見が妥当でないことを示さなければならないこともあるでしょう。

 ただ、プレゼンテーション (話ことば) では、厳正な定義や精緻な推論を書物 (書きことば) のように示すことができない。プレゼンテーション では、せいぜい、テーマ となっている争点に関して、中核となる 「いくつかの概念」 と それらの概念のあいだに存在する 「関係」 を示すくらいでしょうね。しかも、もし、テーマ が、なんらかの専門性を帯びていれば、プレゼンテーション を聴く前提として、いくらかの専門知識をすでに習得していなければならないでしょう。そういう前提を、プレゼンテーション をする側から言えば、「相手意識と目的意識」 として事前に定立して プレゼンテーション するのですが、ときには、そういう前提から離れた人たちが──そういう人たちのなかには、すでに、そうとうに知識をもっていて、プレゼンテーション で述べられることなど習得してしまている上級の人たちもいれば、前提知識を習得していない初級の人たちもいるのですが──聴きにきていることがあります。

 そして、プレゼンテーション の途中から、上級の人たちは苛々している様を見せるようになりますし、初級の人たちは、つまらなそうにしている様を見せます。講師のほうでは、そういう人たちを一目で判断できます。そういう人たちがでてきたときには、私は、そういう人たちを無視します。プレゼンテーション のあとで、アンケート があって、聴き手がプレゼンテーション の評価 (ratings) をする制度が一般的になっていますが、私は、過去 20数年のあいだの数多い プレゼンテーション で、5 段階評価で平均 4.5 くらいの評価点を得てきましたが、ときには、最低点の 「たいへん悪い」 と記されたこともあります。そして、それを記した聴き手が だれであるかを私は直ぐにわかります──そのひとが座っていた席を指示することができます。プレゼンテーション の途中で私は すでに そういう人を気づいているので、私は、その人が記す アンケート も事前に想像できています。また、私が プレゼンテーション のなかで述べる意見が、聴いているひとの考えかたと違うときに──私が プレゼンテーション のなかで 「否定した意見」 を聴き手が信奉しているときに──アンケート の評価が 「普通」 と記されることも いくどか体験してきているので、その人が記す アンケート も事前に想像できています。それでも、私は、そういう人たちを無視します。というのは、プレゼンテーション の 「相手意識と目的意識」 は、その プレゼンテーション を進める前提として定立しているので、「相手意識と目的意識」 から逸脱した プレゼンテーション にしないのが原則です。前述した 「プレゼンテーション の調整」 は、あくまで、「相手意識と目的意識」 の範囲内でやることであって、「相手意識と目的意識」 を離れるようなことはしないのが プレゼンテーション の原則です。




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  佐藤正美の問わず語り