2003年11月16日 作成 古今和歌集・新古今和歌集 >> 目次 (作成日順)
2008年 4月16日 更新  


 古今和歌集・新古今和歌集に関して、以下に掲載する書物は、古今和歌集・新古今和歌集を、単独に 「研究」 しようとして所蔵しているのではなくて、文学史のなかで、万葉集と対比しながら読むために所蔵している。
 それが目的なので、文献を、古今和歌集・新古今和歌集の研究のために、網羅的に収集しているのではないことを御了承ください。

 なお、万葉集に関する文献の量と比べて、万葉集のほうが多い点を鑑みれば、小生の関心が万葉集のほうにあることを御理解いただけるでしょう。



[ 読みかた ] (2008年 4月16日)

 万葉集から新古今集に至るまでの時代のなかで、言語上、最大の できごと は、仮名文字の成立でしょうね。
 平安京遷都 (794年) から鎌倉幕府成立 (1192年) までの平安時代 400年は、「中古 (ちゅうこ)」 と よばれています。いわゆる 「王朝文化・貴族文化」 が花開いた時代です。

 平安遷都のあと、朝廷は、国家を整備するために、唐の政治・文化を ならおうとしました。特に、嵯峨天皇の時代 (九世紀前半) には、宮廷儀式で唐風が重視され、「勅撰漢詩文集」 が編集されました。唐風文化が栄えて、日本の和歌は、私的に限られていました。

 平安京遷都に関する詳細な知識は、日本史の書物を参照してもらうとして、嵯峨天皇は、唐の都にならって、左京を洛陽城とし、右京を長安城と名づけましたが、西部地区 (右京) が低湿地だったので、「去る者はあっても来る者はなくて」 (慶滋保胤 「池亭記」)、左京に人口が集中して、左京の洛陽が平安京の代名詞になったそうです。貴族は、四条以北を中心に邸宅をつくって住んでいたそうです。
 遷都後の百年ほどは、唐風の生活様式が続きましたが、寛平六年 (894年) に遣唐使が廃止され、村上天皇の代 (そして、九世紀末〜十世紀後半) には、藤原氏などが 「荘園」 などの私的な土地所有を増やして、国家による土地所有制度が崩れていきましたし、正史・格式の編纂も停止されています。この期に、初の勅撰和歌集 「古今和歌集」 が編まれました。これらの一連の できごと は、日本文化が唐風から和風へ転換する できごと でした。

 「古今集」 の最も古い写本は、元永三年 (1120年) 書写の元永本古今集だそうです。流布本では、藤原定家の校訂書写本の系統で、いくつかあるそうですが、貞応二年 (1223年) の奥書がある写本が最も流布したそうです。

 宮廷でも、詩会 (詩とは漢詩のことです)・詩合のほかに、歌会・歌合が おこなわれるようになって、和歌は漢詩と並ぶ地位を与えられました。仮名文字が普及して、日本語の表記が確立してきたので、仮名による散文学が出てきましたが、10世紀の中頃から後半に成立した初期の仮名作品は、ほとんど、男性が記した作品です──たとえば、「竹取物語」 「伊勢物語」 「土佐日記」 など。10世紀末から11世紀末には──いわゆる 「摂関期」 で、藤原氏の栄華時期ですが──、後宮 (こうきゅう) や摂関家の女房 (にょうぼう) たちが、日記・随筆・物語などの仮名文学を作りました──たとえば、「枕草子」 「源氏物語」 など。11世紀後半になって──いわゆる 「院政期」 で、保元・平治の乱が起こって武士が台頭してきた時期で、庶民文化・武士文化が貴族社会に流入した頃ですが──、摂関体制が弱まってくると、宮廷文化が衰えてきて、物語文学・女流文学も活気を喪いました。そして、12世紀前後からは、回顧的な歴史物 (「栄華物語」) や庶民的・仏教的な説話が集成されました。

 「新古今和歌集」 は、鎌倉時代初期 (元久二年、1205年) (3月26日に) 竟宴が催され撰進された 「後鳥羽院の勅斤和歌集」 です──「八代集」 の最終勅撰和歌集です。ちなみに、「八代集」 とは、古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集の八集の称です──ほかにも、十三代集とか二十一代集 (古今集以下の 21の勅撰和歌集の総称) があって、二十一代集から初めの八代集を除いたのが十三代集です。
 後鳥羽院は、武士 (鎌倉幕府) に対抗して、朝廷の威信回復を念願して、宮廷和歌の復興に情熱をそそいで、勅斤和歌集の実現をめざしたそうです。その情熱を示すように、竟宴のあとにも、いくども、歌の増補 (切り入れ)・削除 (切り出し) が おこなわれ、改訂 (切り継き) が 5年にも及んだそうです。さらに、後鳥羽院は、隠岐に流されたあとも、斤本を作って、380首ほどを削除したそうです。伝本は、原斤本系統 (元久二年)、定家家隆書写本系統、家長浄書本系統 (建保四年) および隠岐斤抄本系統が想像されるとのことですが、定家家隆書写本系統のほか伝存していないそうです──現存伝本も種々の混態だそうです。

 「古今和歌集」 「新古今和歌集」 の特徴を以下に まとめてみます。

 「古今和歌集」 の題意は、「『万葉集』 に入らなかった古歌と今の歌」 です。構成は、20巻で、約 1100首の歌が収められています。後醍醐天皇の勅命で、紀友則 (きのとものり)・紀貫之・凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね)・壬生忠岑 (みぶのただみね) が撰集して、延喜五年 (905年) に奏覧されました。当初、「続万葉集」 として献呈されたのですが、部類分けして、改訂が施されました。部類分けは、春 [ 上・下 ]・夏・秋 [ 上・下 ]・冬・賀・離別・羇旅 (きりょ)・物名 (もののな)・恋・哀傷 (あいしょう)・雑 (ぞう) [ 上・下 ]・雑体 (ざってい)・大歌所御歌 (おおうたどころのおほんうた) になっています。巻頭は仮名序で、巻末は真名序です。

 巻頭の序には、「やまとうたは、人の心を種として よろづの言の葉とぞなりける」 と記されていて、それぞれの歌は、四季の推移 (立春から歳暮まで) に沿って構成され、あるいは、恋も、「まだ見ぬ恋」 にはじまって 「あきらめ」 に至る変転として構成されています。大岡信 氏は、「古今集」 の特徴を以下のように述べています (大岡信 「四季の歌恋の歌」)。

    この月の この日のあたりには、こういうことが感じられるものであるというふうな強調のしかたを
    しながら、全体として日本人の生活の中に ひそんでいる美に対しての感覚、その いわば ひとつの
    手本を示そうとした。それが古今和歌集の成り立ちといっていいのです。

 「古今集」 は、以後、「歌の規範」 として多大な影響を与えたました──江戸時代まで、歌の手本は、「古今集」 とされていました。「万葉集」 の特徴が 「ますらおぶり」 とすれば、「古今集」 の特徴は 「たおやめぶり (優雅繊細)」 と評されています。「古今集」 は、修辞法として、縁語 (えんご)・掛詞 (かけことば)・見立て・擬人法を多用して、「万葉集」 が五七調 (二句切れ、四句切れ) であったのに対して、「古今集」 は七五調 (初句切れ、三句切れ) が主流です。歌風は、3 つの期 (詠み知らずの時代・六歌仙の時代・撰者の時代) に分けられるそうです。「詠み人知らずの時代」 は、万葉集の終わりから 850年頃までを云い、小野篁 (おののたかむら)・藤原関雄らのほかは、ほとんど、「詠み人知らず」 の歌で、「万葉集」 の特徴的な修辞法であった枕詞・序詞が多い。「六歌仙の時代」 は、850年頃から 890年頃までを云い、六歌仙 [ 僧正遍昭 (そうじょうへんじょう)・在原業平 (ありわらのなりひら)・文屋康秀 (ぶんやのやすひで)・喜撰法師 (きせんほうし)・小野小町・大伴黒主 (おおとものくろぬし) ] が活躍した時代です。歌の特徴は、縁語・掛詞が多用されています。「撰者の時代」 は、890年頃以後を云い、撰者たちが活躍した時代で、「古今和歌集」 の歌風が完成されました。

 ちなみに、「巻七」 には、国歌に流用された以下の歌が収められています。

    わが君は千代に八千代に細れ石のいはほととなりて苔のむすまで

 
 「新古今和歌集」 は、武士の政権が確立した約 10年後に、後鳥羽院の院宣で最初の斤本が撰進され [ 1201年、源通具 (みなもとのみちとも)・藤原有家 (ふじわらのありいえ)・藤原定家 (ふじわらのさだいえ)・藤原家隆 (ふじわらのいえたか)・藤原雅経 (ふじわらのまさつね)・寂蓮 (じゃくれん) が撰進 ]、撰進された歌を院が精選して、元久二年 (1205年) に 「一応」 完成しました──「一応」 と言ったのは、上述しましたように、その後も、切り継ぎが おこなわれたからです。
 武士が台頭する時代のなかで、10世紀の延喜天暦期を理想として考え、「古今和歌集」 を規範に仰いで 「新しい古今和歌集」として編まれた八番目の勅撰和歌集です。

 構成は、「古今集」 に倣 (なら) って、巻頭に仮名序、巻末に真名序を置いて、部類分けとして、春・夏・秋・冬・賀・哀傷・離別・羇旅・恋・雑・神祇・釈教の 12部をとっています。歌の修辞法は、従来の序詞・縁語・掛詞のほかに、句切れの変化・体言止め・本歌取りが施され、「余情」 を醸す工夫がされています。また、「新古今集」 では、「幽玄 (ゆうげん)・有心 (うしん)」 が歌の理念とされましたが、専門家のあいだでも、それらの解釈は様々のようです──ちなみに、専門家の推測によれば、「有心」 を、藤原定家は、「透徹した創作態度」 としていますが、後鳥羽院は 「実情」 の意味で考えていたとのこと。「妖艶美」 と解釈する専門家もいるようです。「幽玄」 という ことば そのものは、「古今集」 の序にも 「或は事神異に関 (あずか) り、或は興幽玄に入る」 とあるので、「新古今集」 は、「幽玄」 を、「有心」 と相まって、深めたと言って良いでしょう。「幽玄・有心」 は、象徴的に虚構世界を描くといくことなのかもしれないですね。「万葉集」 の歌が 「即物」 的だったのに対して、「新古今集」 の歌は、「絵画的・音楽的な余韻」 が漂うと言っていいのかもしれない。「幽玄・有心」 は、後世、連歌論 (宗祇)・能楽論 (世阿弥)・俳論 (芭蕉) にまで及んでいます。

 ちなみに、「新古今集」 には、紀貫之・柿本人麻呂の歌も収められています──紀貫之の歌は 32首、柿本人麻呂の歌は 23首も収められています。入集歌数が多い歌人は、西行が 94首、慈円が 92首、藤原良経が 79首、藤原俊成が 72首で、それらに比べて、藤原定家が 46首で意外に少ないです (紀貫之の歌が 32首収められていることと対比したら、定家の歌は、意外に少ないですね)。
 有名な 「三夕 (さんせき) の歌」 を以下に記載しておきます。

                       まき
    寂しさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ (寂蓮)

                        しぎ
    心なき身にもあはれは知られけり 鴨立つ沢の秋の夕暮れ (西行)

                       うら  とまや
    見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ (定家)  





 ▼ [ 史料 ]

 ● 古今集総索引、西沢経一・滝沢貞夫 編、明治書院

 ● 古今和歌集、玉上琢彌 編、桜楓社

 ● 古今集注釈書集成 伝心抄、伝心抄研究会 編、笠間書院

 ● 古今和歌集正義、香川影樹著、瀧澤貞夫 校訂解説、勉誠社

 ● 新古今集総索引、滝沢貞夫 編、明治書院

 ● 作者別 時代順 新古今和歌集、窪田空穂 著、中文館書店

 ● 新古今諸注一覧、愛知県立女子大学 国文学研究室 編、愛知県立女子大学 国文学会

 





 ▼ [ 現代語訳、英訳 ]

 ● 日本国民文学全集 8 [ 古典名歌集 ] 古今和歌集 (全)・新古今和歌集 (全)、窪田空穂 訳、河出書房版

 ● カラー版日本文学全集 1 古事記・万葉集・古今和歌集・新古今和歌集
  福永武彦・山本健吉・池田弥三郎 訳、河出書房版

 ● Kokin Wakasyu^ with "Tosa Nikki" and "Shinsen Waka", the first imperial anthology of Japanese poetry
  translated and annotated by Helen Craig McCullough、Stanford University Press

 





 ▼ [ 概説書、解説書 ]

 ● 古今和歌集評釈 (上・中・下)、窪田空穂 著、東京堂

 ● 完本 新古今和歌集評釈 (上・中・下)、窪田空穂 著、東京堂出版

 ● 鑑賞 日本の古典 9 新古今和歌集・山家集・金塊和歌集、有吉 保・犬養 廉・樋口芳麻呂、尚学図書

 ● 古歌に見る愛 万葉集・古今集・新古今集、菊池幸彦 著、蒼洋社・おうふう

 ● 余情妖艶 私の 「新古今和歌集」 鑑賞、大伴道子、書肆季節社

 





 ▼ [ 辞典、事典 ]

 ● 國文学 新古今集を読むための研究事典、國文學 第 35巻 14号、學燈社



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