2004年 7月16日 作成 読書のしかた (範囲の制限) >> 目次 (作成日順)
2009年 8月 1日 補遺  


 
 TH さん、きょうは、読書範囲の制限について考えてみましょう。

 
● 入手した多くの知識のなかから、あなたが学習しようと思う領域を、制限するように努力しなければならない。

 多くの概念を習得すれば、思考が豊かになる (思考対象の数が多くなる) ので、多読したほうが良いことを、以前、述べました [ 302ページ ]。 多読とは、一見、正反対になるかもしれないのですが、読書の範囲を制限して、その領域を、徹底的に (専門的に) 研究することも大切です。

 学校を卒業すれば、「(事前に用意され、計画どおりに進められる) 規則正しい」 授業を聴くことも終わり、それゆえに、社会に出てからの勉強というのは、計画・実行・批判を、みずから、やらなければならないので、むずかしくなります。 歩むべき道はなくて、歩いた跡が、そのまま、道になる、というのが、人生なのでしょうね。
 そして、ほかの人たちは、だれも、あなたの学習にはかまってくれない、というのが 「[ 成熟した ] おとなの ルール (自己責任、at your own risk)」 です。

 したがって、多くの様々な誘惑に抵抗しながら、ひとりで学習しなければならない。社会に出てからの学習というのは、孤独のなかで積むしかない。とすれば、精神を集中して、みずからの生活に対して規律を与えて、学習を計画的に進めなければならない。

 人の数と同じ (あるいは、それ以上の) 数の 「人生観 (世界観)」 があるので、それらを聴いたり読んだりすれば、膨大な数の知識が流れ込んできて、頭が混乱してしまいます。入手した多くの知識のなかから、あなたが学習しようと思う領域を、制限するように努力しなければならない。

 
● 限界があるからこそ、「形」 を与えることができる。

 多くのことがらを、食い散らしてはいけない。 多読しながら、いっぽうでは、みずからの専門領域を見出して、それを掘り下げなければならない。 ほかの人たちが提示した考え方を、巧みにまとめることは大切なことですが、いっぽうでは、ほかの人たちに対して提示できる意見をもたなければならない。 意見というのは、論理です──したがって、証明しなければならない。 とすれば、多くの資料を読みこなして、整合的な体系を作らなければならない。 対象範囲を制限して、無矛盾性・完全性を実現した体系を作らなければならない──適用範囲を制限しなければ、(モデル を作ることができないので、) 無矛盾性・完全性を証明することはできない。

 だから、いたずらに、多くの領域を、皮相的に食い散らしてはいけない。
 あなたが、現に、手にしている知識を、集中して、掘り下げ、限られた枠のなかに収めることができない膨大な知識を、迷わず切り捨てなければならない。 若い頃には、みずからが実現できる夢を抱くことは大切なことですが、みずからの力を過信して、あれもこれもできる、と思わないほうがよい。 限界があるからこそ、「形」 を与えることができる。 そして、「形」 は、無矛盾性・完全性を実現するための前提なのです。

 
● 語るべきことを、明晰に (整合的に) 語り、そのほかのことについては、沈黙を守る。

 徹底的に検証した整合的な意見だけを語り、そのほかのことについては、沈黙を守ることが、論理的に考える人の誠実な態度だと思います。
 ただし、みずからの考えかた (あるいは、意見) が、ほかの人たちが提示した多くの意見のなかで、どのような座標に位置しているのか、という点を知るためには、やはり、いっぽうでは、多読をしていなければならないでしょうね。

 



[ 読みかた ] (2009年 8月 1日)

 取り立てて補遺はいらないでしょう。
 本 エッセー で記したことは、数学の概念で謂えば──アナロジー を使えば──「閉包、外点、特徴関数」 を私は想像します。すなわち、

 (1) ひとつの集合が 「閉包 (closure)」 として存在している。
   (この集合が じぶんの FOR (Frame of Reference) に対応します。)

 (2) その集合のなかの メンバー は、なんらかの体系として構成されている。
   (この構成が 「特徴関数 (characteristic function)」 です。)

 (3) 「閉包」 の外 (そと) に 「外点 (exterior point)」 が補集合として存在している。

 そして、「閉包」 の メンバー に対して適用されている 「特徴関数」 のなかに 「外点」 を足してみて、「特徴関数」 が崩れなければ、その 「外点」 を取り込んで 「閉包」 を拡大できるでしょう。

    C特徴関数( x1, ・・・, xn, + y外点).

 起点になった 「閉包」 ( x1, ・・・, xn) を 「基底」 と謂います。単純に言えば、「基底」 のなかに 「外点」 を取り込んで──勿論、「基底」 を構成していた 「特徴関数」 が崩れないように取り込んで──「閉包」 を拡大してゆく、ということ。勿論、この アナロジー は、数学的厳正性を無視してるのですが、FOR の拡大と概念的には同型でしょうね。すなわち、じぶんの持っている知識のなかに外点を取り込んで知識を 「芋ずる式に」 増やしてゆく、ということです。言い換えれば、じぶんが持っている系統だった知識のなかに 「外点」 を取り込みながら生長してゆく、ということ。

 「基底」 のなかで知識を系統立った状態にするのが 「特徴関数」 であって、「基底」 が巨大である状態を 「博学」 と謂い、いっぽう、「雑学」 というのは、「特徴関数」 から外れた知識が多数散在している状態でしょうね。
 勿論、私は 「雑学」 を軽視しているのではなくて、「特徴関数」 が適用できる対象を 「論説(意見)」 に限っています。ロジック を なんでもかんでも──適用範囲を超えて──使うほどに私は無粋ではないつもりです。「論説」 に対して、「特徴関数」 を使うことも やりすぎだと思うひとは、ゲーデル の完全性定理・不完全性定理を読んでみてください。





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  佐藤正美の問わず語り