200761

特論-10 SDI/RAD (「T字形 ER」 と 「INDEX-only」)

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201251日 補遺

 



 TM (T字形 ER手法) は SDI/RAD Rapid Application Development) の中核になっている。というのは、TM は、以下の 3点を同時に実現する技術として整えられてきたから。

 (1) 事業を解析する。 (分析段階)
 (2) データ 構造を作る。 (設計段階)
 (3) プログラム の アルゴリズム を I/O 化する。 (製造段階)

 ちなみに、( ) のなかに記述した 「段階」 は、SDLC System Development Life Cycle) の工程を示す。

 「黒本」 では、SDI/RAD そのものを詳細に記述することはしなかった。というのは、「黒本」 に先立って、「RAD による データベース 構築技法」 を出版していたので、RAD そのものは、「RAD による データベース 構築技法」 で記述した。SDI/RAD を簡単に述べれば、「1,000,000 ステップ くらいの アプリケーション なら、10数名の プロジェクト人数で、6ヶ月で導入する」 システム作りの体系である。その SDI/RAD の中核になる技術が、以下の 2つである。

 (1TM (T字形 ER手法)
 (2INDEX-only

 「INDEX-only」 は、TM を前提にしている。すなわち、上述した TM の特徴点である 「プログラム の アルゴリズム を I/O 化する」 点を前提にしている。

 TM は、コッド 関係 モデル を意味論的に拡張するために作られ、実体主義を 「個体の認知」 として導入したので、当時、実体主義的な考えかたをしていた チェン ER手法のよびかたをならって、「T字形 ER手法」 と命名したが、のちのち、非常に後悔して、TM という言いかたに変えた。というのは、ER手法という言いかたを使ったので、チェン流の ER手法と同類のように世間では思われたから。TM は、チェン ER手法のような 「曖昧な」 entity 概念を使ってはいない。したがって、チェン ER手法と同類とみなされるのが心外だった。

 「INDEX-only」 は、セット・アット・ア・タイム 法と レコード・アット・ア・タイム 法 (indexing) の併用法として着想した。言い換えれば、セット・アット・ア・タイム 法の 「view」 を レコード・アット・ア・タイム 法の indexing で実現する やりかた である。「INDEX-only」 は、たあいもない (very easy) 技術であるが、それを着想するには、RDB internals を知っていなければならなかったし、データ 構造が リレーショナル 代数演算 (SELECTJOIN) で完了する構造になっていなければならない。そして、その構造を TM が用意している。

 「RAD による データベース 構築技法」 (1995年刊) のなかで、どういうことを記述したか は、10年以上も前に出版した書物なので、いまとなっては、もう、覚えていないが、TM が中核になっているはずである。というのは、TM を中核にしなければ、RAD を実現できないから。したがって、「RAD」 のなかで TM を述べて--ただし、詳細な技術として整っていなかったと想像されるが--TM そのものを単独に記述して、TM の体系を整えた書物が 「黒本」 である。「黒本」 で整え始めた体系を、「論考」 で数学・論理学の観点から検討し直して、そして、「赤本」 で、TM の体系を いっそう整えた。ただ、「赤本」 で示した体系にも、いちぶ、さらに検討しなければならない点があって、いまも、TM を推敲している次第である。



[ 補遺 ] 201251日)

 SDI/RAD とT字形 ER法のいずれが先に誕生したかは キッパリ と言い切れないほどに同時期だったと記憶しています。強いて言えば、(T字形 ER法がT字形 ER法として或る程度に整った体系になった時点をT字形 ER法の誕生であるとすれば、) SDI/RAD のほうが早かった。拙著の出版順で云えば、次のような歴史を辿って来ました。

 (1) 「CASE ツール」 (1989年)
   恩師 Eric Vesely 氏から習った 「コッド 正規形を構成する T-account ワークシート」 を使っていた。

 (2) 「実践 クライアント・サーバ」 (1993年)
   後 (のち) にT字形 ER法の関係文法となる リレーションシップ の生成規則が示された。

 (3) 「RAD」 (1995年)
   T字形 ER法の 「原形」 が示された。

 (4) 「T字形 ER」 (1998年)
   T字形 ER法が一つの整った体系として示された。

 モデル では 「構文論が先で意味論は後である」 と考えるならば、T字形 ER法の 「原形」 は 1993年頃に生まれていますが一つの整った体系にはなっていなかった。ただ、その関係文法は、以後 (TM として進化しても)、変わっていないので、T字形 ER法のほうが SDI/TAD に先行したと考える事もできるでしょう。尤 (もっと) も、当時、RAD を実施していたので、SDI/RAD を実現するためにT字形 ER法を整えなければなかったと考える事もできます。いずれにしても、当時、私が取り組んでいた テーマ は、昨今の ことば で言えば 「モデル 駆動型」 の システム 作りでした。

 T字形 ER法を 1998年に公表した直後に、私はT字形 ER法を否定する作業に取り組みました──その途中報告が拙著 「論考」 (2000年) でした。拙著 「論考」 は、二つの目的を持っていました。その一つが構文論の検討で、もう一つは意味論の やり直し [ T字形 ER法の意味論的前提を移行する作業 ] でした。構文論の検討では、数学の技術を再学習して、T字形 ER法の技術を再検証する事でした。そして、T字形 ER法の技術は、いくつかの間違いを正しましたが、根本的には変わらなかった。T字形 ER法の中で私が否定したものは意味論でした──すなわち、T字形 ER法は、当初 「意味の対象説」 を前提にして作られたのですが、その前提を 「意味の使用説」 に移しました。しかし、その後も、「意味の対象説」 と 「意味の使用説」 は絡まりあい意味論を整えることが なかなかできなかった。

 T字形 ER法の意味論を 一応 決着した形として公表したのが拙著 「赤本」 (2005年) です。「赤本」 では、T字形 ER法の意味論の前提を変えたので、(T字形 ER法を) TM という呼称に変えました。「赤本」 で 「真」 概念 (導出的な L-真、事実的な F-真) が導入されて、「意味の使用説」 と 「意味の対象説」 が併存する形となったのですが、「意味の使用説」 の土台となる 「合意」 概念を F-真と並べる置き場所が定かでなかった。つまり、意味論の最終的論点として、事実的な F-真と「『合意』 された認知」 とのあいだの整合的な並びが示されていなかった。それらが整合的な体系──「合意された認知 → L-真の構成 → F-真の験証」という手続き──として示された時期は、T字形 ER法が生まれて ほぼ 16年後に出版された 「いざない」 (2009年) です。思えば長い道程でした。私の脳味噌が御粗末だったがために それほどの長い年月を費やしたのかもしれないのですが、一つの理論体系を作って、且つ それを実証するには、数年で ケリ がつくほど簡単ではないという言い訳をしても負け惜しみにはならないでしょう。

 TM は、厳正に言えば、完成していない──技術的には完成していると断言してもいいのですが、一つの関係文法が数学の モデル 論では説明し切れない。すなわち、R { event, resource } の文法が 「関数」 では説明し切れない。この論点も意味論の論点だと思うのですが、余りにも自明な事にもかかわらず、今のところ、一つの 「公理 (仮定)」 あるいは規約として扱うしかない状態です。この文法は、「商品が受注に関与する」 という文を真として 「受注が商品する」 という文を偽とするための文法なのですが、項のあいだの並びを問えない文法です──event のあいだの全順序とか、resource のあいだの半順序というような関数的規則にはならない。この論点が今後取り組まなければならない [ 決着しなければならない ] 論点です。哲学・数学を再び学習しなければならないので、そう簡単に決着できる論点だとは推測していないのですが、引退するまでには説明できるようにしたいと希っています。







 

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