2022年 3月 1日 「12.5 ふたたび、決定不能命題」 を読む >> 目次に もどる


 「決定不能命題」 として、「対照表」 を本節では取り扱っています。

 TM の前身であるT字形 ER法でも 「関係」 文法のなかの一つとして、(Resource と Resource との関係において) 「対照表」 を生成することは規則になっていました──1998年に出版した拙著 「T字形 ER データベース 設計技法」 (以下、「黒本」) は、T字形 ER法を初めて体系立って説明した著作ですが、「黒本」 において、「関係」 文法を明記しています)。しかし、T字形 ER法では、「対照表」 を Event として 「解釈」 していました。「対照表」 を Event として 「解釈」 するのであれば、「対照表」 と Event のあいだに関係を組むと、「関係」 文法に従えば当然ながら、「対照表」 を構成している Resource が Event に関与する [ 挿入される ] はずですが、T字形 ER法では 「対照表」 と Event のあいだに関係を組めば、新たな 「対照表」 を生成するとしていました (その理由を、当時、なんら明確に述べていなかった)。すなわち、当時、私は 「対照表」 を正しく把握していなかったということです。

 「黒本」 を執筆している最中にも、私はT字形 ER法について私自身がわからない [ 説明できない ] 問題を いくつか抱えていました──それらの問題の一つが 「対照表」 の性質でした。執筆を進めながら傍ら、私は 「数学基礎論」 を本格的に体系立って学習し始めていました。その学習成果を公にした拙著が 「論理 データベース 論考」 (2000年出版、以下 「論考」と略称) でした。「数学基礎論」 を学習し始めて、私は 「構文論と意味論」 を意識するようになった。そして、構文論の観点からT字形 ER法を見直しました。そして、T字形 ER法の構文論上の間違いを いくつか訂正しました。その後も 「数学基礎論」 の学習を続けて、「構文論と意味論」 を強く意識するようになって、モデル の正しさとして L-真 (導出的な真) と F-真 (事実的な真) という考えをT字形 ER法のなかに導入しました──その考えかたを基軸にしてT字形 ER法を再体系化した拙著が 「データベース 設計論──T字形 ER」 (2005年出版、以下 「赤本」 と略称) でした。

 「論考」 も 「赤本」 も 「構文論と意味論」 を基軸にしてT字形 ER法を見直したと云っても、構文論も意味論も中身は不徹底であって、モノ のことを entity と呼んでいたし、モノ と モノ とのあいだの関係を 「関数」 (relation) として扱わないで 「関連」 (relationship) として扱っていました、つまり 構文論も意味論も きちんと扱ってはいなかったのです (苦笑)。それでも、T字形 ER法を 「数学基礎論」 を土台にして見直しをしたので、T字形 ER法という名称を改めて TM という呼称に変更しました (「赤本」 で示した モデル 作成技術が TM1.0 です)。「数学基礎論」 の学習を その後も続けて、その学習成果を 2009年に 「モデル への いざない」 (以下、「いざない」) として出版しました。その学習成果を取り入れて TM1.0 を改良したのが TM2.0 です。「論考」 も 「赤本」 も どちらかと云えば、T字形 ER法を構文論を主体にして見直したのであって、意味論が手薄になっていました。「いざない」 を執筆するにあたって、意味論を検討して、「いざない」 で初めて 「レーヴェンハイム・スコーレム の定理」 に言及しました。「レーヴェンハイム・スコーレム の定理」、ゲーデルの 「完全性定理」 「不完全性定理」 を再学習して、「モデル の存在性」 を強く意識するようになって、TM2.0 を見直しました。そして、この時から、entity や relationship という語を使うのを止めて、「関数」 (relation) を全面的に使うようになった (したがって、モノ は 「関数」 のなかの変数として扱い、entity という語を いっさい 使わなくなったのです)。

 「関係」 を 「関数」 f (x, y) とみなして、TM の 「関係」 文法を見直したとき、「対照表」 の構文論・意味論を把握することができました。「対照表」 は、構文論 (記号演算) では Resource の束として扱い、意味論 (記号の 「解釈」) では Event とも Resource とも 「解釈」 できることがわかったのです。ただ、Event とも Resource (Event の補集合) とも 「解釈」 できるということは矛盾ではないか、と私は 当初 思ったのですが、その疑惑を払拭してくれたのが ゲーデルの 「不完全性定理」 でした──無矛盾な体系のなかでは、A とも ¬A (A でない) とも判断できない命題を作ることができる、と。そして、Event と Resource という二つの意味論的な分類が モノ を扱うときに二つの クラス として構文論的に扱うことができることをわかったのは (ゲーデル の 「完全性定理」 および) 「特性関数」 を知ってからのことでした。

 本節 「12.5 再び決定不能命題」 は、本書 「いざない」 の最終節と云っていいでしょう──本書の最終節は (次節の) 「12.6 合意、L-真および F-真」 ですが、次節は本書の 「まとめ」 なので、本節が実質的に最終節となっています。その最終節を 「謎めいた」 中身 (「対照表」 の文法・意味) で終わらせたのには理由があって、システム 作りの分析段階では構文論が蔑ろにされている──意味論だけに頼って モデリング などと云っている──ことに対しての私の抗議です。そして、「構文論と意味論」 の謎掛けをうけて、次節では、「合意、L-真および F-真」 という まとめ を綴ったのです。 □

 




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