2010年 1月 1日 ゆく年、く る年 >> 目次 (テーマ ごと)


 

 昨年は、拙著 「モデル への いざない」 の出版 (2月) で明けて、「ホームヘルパー」 の資格取得 (12月) で閉じました。昨年、日本経済の不景気のなか弊社も仕事の依頼が ほとんど来なくなって、収益が急降下しましたが、いっぽうで、暇になったので、研究を じっくりと進めることもできました。一昨年まで私の精神が鬱に被われていたのですが、昨年は、比較的に壮快な状態が続いて、研究において、それ相応の成果をあげることができました──モデル を { 個体指定子、全順序、半順序、切断 } の観点に立って単純な体系に整えることができました。モデル を単純な体系にする足掛かりが 「ツォルン の補題」 でした。この 「補題」 を強く意識した時点は、「いざない」 を出版した後でした。「いざない」 では、「帰納的関数」 のほうに意識を向けていて、「基底・特徴関数・外点」 の観点から モデル (TM) の体系を検討していたのですが──そして、その観点に立って、TM を再体系化しようと試みていたのですが──、「いざない」 の執筆中に、「ゲーデル の不完全性定理」 を復習してみて、その定理の契機として 「ツォルン の補題」 が使われていることを知っていたのですが、その 「補題」 を改めて復習しなかったので、その 「補題」 が、「いざない」 を出版した後でも私の意識のなかで ザラザラ とした固い手応えを遺していました [ 「いざない」 のなかで、「ツォルン の補題」 に言及しているのですが、その 「補題」 を 丁寧に注釈していない ]。そして、「いざない」 を出版したあとで──正確に謂えば、「いざない」 を執筆したがゆえに、モデル において、「順序」 を強く意識したので──、「ツォルン の補題」 が私の頭のなかで閃光のように走った。そして、「ツォルン の補題」 を表舞台に据えた時点が 早稲田大学 エクステンションセンター 「2009年度 春の講座」 (4月から 7月まで) でした。

 「ツォルン の補題」 に対して正当な配慮を払わなかったことは──「灯台下暗し」 とでも喩えていい状態でしょうが──、私の頭の悪さを痛感させて、私を失望の底に落としました。そのときの私の精神状態は、絶望の どん底にあった──仕事の依頼も ほとんど来ない状態だったし、研究において躓 (つまづ) いて じぶんの頭の悪さに失望した私は、今の仕事を辞めようと本気で考えました [ 6月から 7月くらいに起こった できごと でした ]。その状態を (本 ホームページ の) 「反 コンピュータ 的断章」 で正直に綴ったので、ここでは再録しないけれど、「廃業」 しようと本気で考えました。そして、2ヶ月くらい (6月・7月) のあいだ、私は迷走したあとで、TM を 「ツォルン の補題」 の観点に立って検討するように じぶんを鼓舞して、9月の セミナー で、TM を 「ツォルン の補題」 の観点で見直した体系を提示しました。そして、TM の モデル 観を一歩進めたと思っています [ その体系が、本 ホームページ の トップページ で記載されている 「TM1.1」 です。

 9月で一仕事終えて、充実感と同時に虚脱感もあって、さしあたって新たな研究 テーマ を醸成する精神的裕 (ゆと) りもないので、手持ちぶさたになった私は、(家内の勧めもあって) 「ホームヘルパー」 の スクーリング を受講することにしました (10月)。私が尊敬する哲学者 ウィトゲンシュタイン 氏は、第二次大戦中、病院で看護助手をしていたので、私も、いつか、「介護」 の仕事をやってみたいと思っていました。10月に、福祉の専門学校 (三幸福祉 カレッジ) で 「短期集中 コース (2週間)」 を受講して──ちなみに、受講費用は、97,000円ほどです──11月に、「実習 (4日間)」 を履修して──本来は、10月末に 「実習」 を終えるはずだったのですが、愚息が新型 インフルエンザ を患ったので、私は 「実習」 を 11月に延期した次第です──、12月に、「終了証」 が郵送されてきて、私は、介護員 (「ホームヘルパー 2級」 「身障者 (児) 居宅介護員 2級」) の資格を取得しました。今後は、非常勤で、「介護」 の仕事にも従事します。

 私の本業は、無論、モデル の研究・指導であって、「介護」 職は副業です。ただ、副業と雖も、「介護」 の仕事は、勿論、本業の かたわら気軽にできるような仕事じゃない。ふたつの仕事を、今後、どのように調整するかは本年度の課題です。

 「ホームヘルパー」 は、名称独占であって業務独占ではないので、資格を持っていなくても 「居宅介護」 の仕事に就くことはできるのですが、「要介護」 度の高い利用者 (認知症・身体麻痺などの ケース) を 「自立支援」 するためには、それ相応の技術を体得していなければならないのは当然の前提でしょう。私は、コンサルタント を仕事の ひとつにしているので、初見の人たちといっしょに仕事をやることや (利用者の話を) 「傾聴」 すること──「傾聴」 は、「介護」 でも大事な態度の ひとつですが──には慣れている [ 体得している ] ので、「実習」 のなかで 「通所 サービス (1日間)」 と 「施設 サービス (2日間)」 に就いたとき、なんら抵抗のないまま入れたのですが、若い実習生たちは、そうとうに苦労しているのを目にしました。利用者の年齢は、たいがい、70歳・80歳・90歳なので、若い人たちが そういう年輩の人たちと コミュニケーション を交わすのは難しいでしょう。「介護」 の技術は、いったん、体得すれば それほど難しい技術ではないのですが、「介護」 で問われるのは、コミュニケーション です。同じ技術を使っても、利用者に信頼される介護員もいれば、そうでない介護員もいます。そして、その コミュニケーション は、「介護員の人柄」 を問われる接遇です。かつ、介護員は、つねに、「黒子」 です──あくまで、利用者の自立を支援する アシスト 役です。介護員の要件は、コンサルタント の要件と似ています。だから、私が 「介護」 を副業にするといっても、本業の コンサルタント と同じようなことをやっているので、「介護」 の仕事を副業として低く見ている訳じゃない。

 正直に言えば、「介護」 の仕事は、私の 「天職」 ではないかと思ってもいます。ただ、現場では、介護員が不足していて、利用者に対して本来払うべき配慮ができない状態にあるのも事実です──しかも、重労働の割には、給与が安い。そのために、介護保険制度は、「時間単位の派遣」 制度に成り下がっているのが現状でしょうね。それでも、私は、現場では、できるかぎり、「人-対-人」 の接遇を実現したい、と思っています。じぶんの人生の最終段階で、じぶんが まるで一個の物品のごとく扱われる状態を想像してみてください──そんな終わりを迎えるために、人生を歩いてきた訳じゃないでしょう。

 私が 「介護」 の仕事に就いたのは 「伊達や酔狂」 の振る舞いじゃない。私においては、モデル の仕事と 「介護」 の仕事は相乗作用にある。翻って見て、コンピュータ の仕事において、ユーザ の仕事を直視しないで、エンジニア たちが じぶんたちの技術を仲間内で自画自賛している様は、私には滑稽にしか見えない。

 
      ぼくはこれまでの生涯に、度々同じ夢をみた。そのときどきで姿かたちこそちがえ、
      言うことはいつも同じだった。「ソクラテス よ、文芸作品を作り、文芸に精進せよ」 と。

                                  ──「パイドン」 (「プラトン名著集」)

 
                                              平成 22年元旦。

       「プラトン名著集」、田中美知太郎 編、新潮社。「パイドン」 は 池田美恵 氏の訳。





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  佐藤正美の問わず語り