| 芸術と学問と勤勉 | way out >> |
| 職業と労働と成功 | 芸術と学問と勤勉 | 友情と恋愛と家庭 | 自然と文化と衣食住 | 生と死と信仰 |
| サ゛ッ と言うな 沢木興道老師 (禅僧) |
サ゛ッ と言うな。 アホ のくせして黙っとれ。 |
| 偉人とは ウ゛ァレリー (詩人) |
偉人とは、死後、他人を困惑させる人間である。 |
| 歌とは 古今和歌集 |
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、いひいだせるなり。花になく鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地 (あめつち) を動かし、目に見えぬ鬼神 (おにがみ) をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心もなぐさむるは、歌なり。 |
| 歌とは 本居宣長 (国学者) |
ただの詞は、その意をつぶつぶといひつづけて、ことはりはこまかに聞ゆれども、なほいふにいはれぬ情のあはれは、歌ならではのべがたし。 |
| 自惚れとは ジード (小説家) |
じぶんに もっと理解力がないことを苦痛に感じるためには、すでに相当の理解力がなくてはならない。馬鹿ほど自惚の強いものはない。 |
| 音楽とは レーニン (政治家) |
しかし たびたび 音楽を聴くことはできません。神経に影響して、愛すべき愚にもつかぬことを言いたくなったり、汚い地獄に住んでいながら、こんな美しいものを創ることのできるひとびとの頭をなでてやりたくなったりするんでね。 |
| 科学者とは ニュートン (科学者) |
私には、じぶんの生涯が、海辺の砂浜に遊ぶ一人の少年のようであったと思われる。私にあらゆる未知のものを示す真理の大海の浜辺で、ひときわなめらかな小石や、ひときわ美しい貝がらをみつけて、ときおりをたのしく遊びふけっていた一人の少年であったと思われる。 |
| 学習とは 吉田兼好 (歌人) |
能をつかんとする人 「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」 と常に言ふめれど、かくいふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固いかたほなるより上手の中に交りて、毀 (そり) り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、双 (ならび) なき名を得る事なり。 |
| 学習とは 荘子 (中国戦国時代の書物) |
五十歳にして四十九の非を知る。 |
| 学習とは 亀井勝一郎 (批評家) |
「求める」 という言葉の中から、あらゆる意味での功利性を排除しなければならない。現代では、文学美術はむろんその他多くのことについて、その 「見方」 といったものが極めて発達している。そのためのさまざまな入門書や解説書もある。初心者にとって、ある程度必要なことではあるが、その 「見方」 なるものが実はそれを書いた人間の限定された見方にすぎず、それを読んだ人は要するに他人の目でみている場合が極めて多いのである。 |
| 学問とは 荻生徂徠 (儒学者) |
されば、見聞広く事実に行わたり候を、学問と申事に候故、学問は歴史に極まり候事に候。古今和漢へ通じ申さず候へば、此国今世の風俗之内 (うち) より、目を見出し居り候事にて、誠に井の内の蛙に候。 |
| 学問とは 森 鴎外 (小説家) |
しかし わたくしは 学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は 常識に富める人の多きに堪えない。 |
| 学問とは 亀井勝一郎 (批評家) |
即ち 「無求の求」 というものがあって、(略) 厳密に言えば真理は説くことも出来ない。何故なら、説くこと、示すこと、直ちにそこに自分の分別なるものが入ることだからである。こういう困難を自覚しながら、しかも説きかつ示すということが大切だと言うのである。換言すれば、真理とはすべて語り難いものであり、語りつくしえないものである。そして語り難く、語りつくし得ないもののみを語ろうとするところに、真理探究の本質があるという意味である。だから薄氷をふむような危険な作業なのだ。もし教えるものが自分の見解によって真理をゆがめたならば、そのことで、今度はそれを求める人々の汚れない魂に傷をつけたということになる。真理の名において人間の本性をゆがめるような結果を生むことさえある。人間は学問や知識を積みかさねることによって、逆に人間性の素直な美しさを失って行く場合もある。(略) |
| 形とは 松尾芭蕉 (俳人) |
およそ天下に師たるものは、まづ おのが形、くらゐをさだめざれば、人おもむく所なし。 |
| 感受性とは 有島武郎 (小説家) |
私の個性が表現せられるために、私は自分ながらもどかしい程の廻り道をしなければならなぬ。数限りもない捨石が積まれた後でなければ、そこには私は現れ出て来ない。何故そんなことをしていねばならぬかと私は時々自分を歯がゆく思う。それは明らかに愛の要求に対する私の感受性が不十分であるからである。私にもっと鋭敵な感受性があったなら、私は凡てを捨てて詩に走ったであろう。そこには詩人の世界が截然として創り上げられている。私達は殆んど言葉を飛躍してその後ろの実質に這入りこむことができる。そしてその実質は驚くべく純粋だ。 |
| 既定の概念とは 有島武郎 (小説家) |
それは感激なくして書かれた詩のようだ。 |
| 教育とは モンテーニュ (批評家) |
子どもの教育については、勉学の欲望と興味とを喚起することが いちばんである。さもないと書物を背負った驢馬を養うことに終わってしまう。 |
| 教育とは 林 語堂 (言語学者) |
現在の教育制度が大量教育であり、従って工場同様であり、工場内で起ることは何事によらず、生命のない、機械的 システム によらなければならない。学校名を守り、製品を標準化するために、学校は卒業証書を発行して製品の証明をしなければならない。 |
| 教育とは ゲーテ (詩人) |
人を教えようとするものは、じぶんの知っている最上の知識を しばしば黙ってすませることはできる。しかし生半可であることは許されない。 |
| 教育とは 林 語堂 (言語学者) |
教養のある人とか、理想的に教育された人というのは、必ずしも多読の人、博学の人のことではなく、事物を正しく愛好し、正しく嫌悪する人のことである。 |
| 教育者とは エッシェンバッハ (小説家) |
じぶんの幼年時代のことを はっきりと記憶していないような者は、悪い教育者である。 |
| 教師とは ジャン・パウル (小説家) |
教科書のなかには、いつも何かいい事が書かれているのに、いい教師に めったに出会わないのは、どういうわけだろうか。 |
| 教養とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
現代人の失っているもの。 それは「静かで激しい拒絶」である。 けっして狂信におちいらない拒絶の激しさこそ高い教養のしるしである。 |
| 教養とは ゲーテ (詩人) |
一面的な教養は教養とは言えない。ひとは一つの点から出発しなければならないが、しかし多くの面に向かって進まなくてはならない。 |
| 勤勉とは ジューベール (批評家) |
無為は精神にとって、勤勉におとらず必要である。物を書きすぎれば精神を破産させることになるし、書かずにいれば錆がつく。 |
| 芸とは 順徳天皇 |
一切、芸は学せずして、その能をあらはすことなし。 |
| 芸とは 世阿弥元清 (能役者) |
命には終あり。 能には果 (はて) あるべからず。 |
| 形式とは シラー (詩人) |
偶然的なものを除去すること、そして必然的なものを純粋に表現すること、そこに偉大な様式がある。 |
| 芸術とは ゲーテ (小説家) |
表現の固有性ということが、すべての芸術の初めであり終わりである。 |
| 芸術とは コクトー (詩人) |
芸術は科学の肉化したものである。 |
| 芸術とは ジード (小説家) |
芸術を熟させるための忍耐と努力は、おそらく、その後それを腐らすまいとする忍耐と努力とに較べれば、物の数ではあるまい。 |
| 芸術とは シラー (詩人) |
大衆が芸術を低下させるという、よく聞かれる主張は真実ではない。芸術家が大衆を低下させるのであり、芸術が堕落した時代には、それは つねに芸術家によって堕落させられたのだ。 |
| 芸術とは 芥川竜之介 (小説家) |
シェークスピア も、ゲーテ も、李太白も、近松門左衛門も滅びるであろう。しかし芸術は民衆のなかに かならず種子を残している。わたしは大正十二年に 「たとい玉は砕けても、瓦は砕けない」 と云うことを書いた。この確信は今日でも未だに少しも揺がずにいる。 |
| 芸術とは A. フランス (小説家) |
表現法の新しさや或る芸術味などだけによって価値のあるものは、すべて速かに古臭くなる。
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| 芸術とは ファン・ゴッホ (画家) |
私は次の定義よりもよい芸術の定義を知らない。「芸術とは自然につけ加えられた人間である」、自然、現実、真実につけ加えられた人間である。
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| 芸術とは オスワルト・マールバッハ (詩人) |
芸術はひとを喜ばせたり、しあわせにしたりすべきではない。それは燃えあがり、そして燃えつきていくべきだ。
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| 芸術とは クローデル (詩人) |
芸術と詩は生活の否定である。芸術は生活を模倣すべきではない。いかなる芸術も決してこれをしなかった。芸術の目的は、生活がその断片的素描しか与えなかったものを実現することである。
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| 芸術とは バルザック (小説家) |
絶えざる労働が、生活の法則であると同時に芸術の法則でもある。芸術は観照による創造である。したがって偉大な芸術家や完璧な詩人は、注文や買手を待って初めて仕事に取り掛るのではない。
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| 芸術とは ニーチェ (哲学者) |
じぶん自身の悲劇や喜劇を満喫している者は、たしかに、劇場には行きたがらないものである。
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| 芸術の修業とは ベートーヴェン (音楽家) |
芸術の修業だけでなく、あなたの精神を益する修業をおつづけなさい。
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| 芸術家とは ロタ゛ン (彫刻家) |
芸術家よ、形成せよ。語るなかれ。 |
| 芸術家とは ロタ゛ン (彫刻家) |
辛抱強くあれ! 霊感をあてにするな、そんなものはないのだ。芸術家の資格とは、知恵であり、誠実さであり、意力である。諸君の仕事を、あたかも実直な職人のように果たしたまえ。 |
| 芸術家とは シューマン (音楽家) |
人間の心の深みへ光を送ること--芸術家の使命。 |
| 芸術家とは 松尾芭蕉 (俳人) |
古へより風雅の情 (こころ) ある人々は、後 (うしろ) に笈 (おひ) をかけ草鞋に足を痛め、破笠に露霜をいとうて、おのれが心をせめて物の実 (まこと) をしる事をよろこべり。 |
| 芸術家とは A. フランス (小説家) |
芸術家は人生を愛し、その美しさを われわれに見せてくれなければならぬ。世に芸術家というものがなかったら、われわれは人生の美しさを とうてい本当には知らないであろう。 |
| 芸術作品とは アンドレ・マルロー (小説家) |
芸術家の最初の素材は、決して人生ではなく、つねに他の芸術作品である。 |
| 賢人とは 吉田兼好 (歌人) |
人は己をつづまやかにし、おごりを退けて、財 (たから) をもたず、世を貪らざらんぞいみじかるべき。むかしより賢き人の富めるはまれなり。 |
| 行為とは ヴァレリー (詩人) |
アキレス が空間や時間のことを考えていては、亀の子を追い越すことはできない。 |
| 好奇心とは パスカル (思想家) |
好奇心は虚栄心にほかならない。多くの場合、人が知ろうとするのは、それを語らんがためにほかならない。 |
| 向上心とは ジード (思想家) |
私は、たとえ、愉悦のさなかであろうと、停滞を愛したことはない。 新しさが、鈍るやいなや、それを乗り越えて、進むことしか考えないのだ。 |
| 幸福とは ゲーテ (小説家) |
考える人間の もっとも美しい幸福は、究めうるものを究めてしまい、究めえないものを静かに崇めることである。 |
| 幸福とは ゲーテ (小説家) |
世の中のものはなんでも我慢できる。 しかし、幸福な日の連続だけは我慢できない。 |
| 幸福とは アラン (哲学者) |
人間は、意欲すること、そして創造することによってのみ幸福である。 |
| 幸福とは 紫式部 (女流作家) |
昔も今も、物念じして のどかなる人こそ、さいはひは見果て給ふなれ。 |
| 個性とは ジード (小説家) |
誠実は、芸術においては、それが努力の末ようやく認められたときでなければ、私には無縁である。じぶんの個性の誠実な表現にたやすく到達し得るのは、きわめて平凡な魂の持主だけである。なぜならば、新しい個性は、新しい形式のなかにしか、誠実に自己を表現することはできないからである。 |
| 個性とは 有島武郎 (小説家) |
生命の向上は思想の変化を結果する。思想の変化は主張の変化を予想する。生きんとするものは、既成の主張を以て自個を金縛りにしてはなるまい。 |
| 言葉とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
おたがいに意見を述べる会合に出席して、何も言わないと、あとで後悔する。言葉があまっているからである。何か言うと、あとで後悔する。言葉が足りないからである。 |
| 言葉とは 清少納言 (宮女、文筆家) |
ふみことば なめき人こそ、いと にくけれ。世を なのめに書きなしたる詞のにくきこそ。 |
| 言葉とは 亀井勝一郎 (批評家) |
(略) 真理だけでなく、美の場合にも、究極においてそれは 「語り難いもの」 を裡にひそめている。したがってそれを求め、それにふれるということは 「沈黙」 を迫られるということでもある。すべて感動とよばれるものは、この種の沈黙を裡にひそめている。それについて語り出すや否や忽ち虚偽におちいると思うような場合を、人々は経験している筈だ。「無心」 と 「沈黙」 と、真理はこのうちにしのびよると言ってもよい。人間の言説のはかなさを知った上で、真理と美を語るべきである。
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| 才能とは 吉田兼好 (歌人) |
智恵出でては偽あり。才能は煩悩の増長せるなり。 |
| 才能とは 吉田兼好 (歌人) |
分を知らずして強ひて励むは、おのれが誤なり。 |
| 才能とは モーパッサン (小説家) |
才能は根気である。--表現したいと思うものはなんでも、充分に長い時間をかけ、また充分に心を留めて、そこに かつて だれも見も言いもしなかった点を注視することが重要である。いかなるものも まだ探検されない部分があるものである。 |
| 作品とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
作品とは自然の模倣を断じて出ることはできないのであって、作品とは芸術家が心を虚しくして自然を受け納れる その納れ方の刻印であるという事ができる。 |
| 作品とは ボアロー (詩人) |
作品は少数の文学通から賞讃を浴びせられても駄目である。人間一般の趣味を刺激するに足る或る種の面白味と塩味がないならば、けっして よい作品として通用しまい。その面白味、塩味とは、主として、読者に真実の思想と正確な表現を提供することに存する。 |
| 作品とは フォークナー (小説家) |
現在の自分の作品に決して満足してはならない。到達し得ない高みに登ることを目指さなければならない。同時代人や先人たちより優ろうとだけ努めてはならない。じぶん自身をのり越えようと努めなければならない。 |
| 作品とは ユゴー (詩人) |
凡人は常に規則的な作品を作り、非凡な人は作品に秩序を与える。 |
| 作品とは エミール・ゾラ (小説家) |
作品とは、作家の体質を通して眺めた自然の一角である。 |
| 作品とは ゲーテ (詩人) |
私の発表した一切のものは、大きな告白の断片に過ぎない。 |
| 作品とは ホフマンスタール (詩人) |
もっとも繊細なものを創る者のみが、もっとも強いものを創りうる。 |
| 作家とは ホフマンスタール (詩人、劇作家) |
有名作家も無名作家も理解されずに生きていることは同じで、ただその形式が違うだけだ。 |
| 詩とは サント・ブーヴ (文芸評論家) |
詩に対する嗜好ぐらい、異説が多くて、不確定なものは少ない。如何なる時代の青年詩人たちでも、「われわれの詩が最も美しい」 と言っているが、これは 「私の恋人が最も美しい女だ」 と言っているのと同じことだ。 |
| 詩とは ボードレール (詩人) |
長い詩については、つまり こう考えればいいのです。それは短い詩の書けない連中の拠りどころだとね。人間が詩形に払える注意力には限度があり、長すぎる詩というものは すべて、一篇の詩ではないのです。 |
| 師とは 森鴎外 (小説家) |
帽は脱いだが、辻を離れて どの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。 多くの師には逢ったが、一人の主 (しゆ) には逢わなかったのである。 |
| 時間とは ヒルティ (哲学者) |
小さい時間の断片の利用。多くのひとびとは仕事にかかる前に、なにものにも妨げられない広大無辺の時間の大原野を常に眼の前に持とうとするから、だからこそかれらは時間を持たないのだ。実に、この小時間の利用と、「今はまだ着手しても駄目だ」 という考えをとり除くことが、或るひとの生涯の業績の半ばを形成するといってもさしつかえないくらいである。 |
| 自己とは 森鴎外 (小説家) |
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人(いちにん)のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安じて恬然(てんぜん)としていなくてはならない。 |
| 自己とは 亀井勝一郎 (批評家) |
(略) 自己が成り得るかもしれないあらゆる可能性へのそれは信頼だと言ってもよかろう。我々は世間とか他人の言葉によって自ら自己を限定されることに慣れてしまっている。そしてついにそのものであるかのごとくに思いこんで生きている。だからそういう自己とは一種の 「仮設」 だと言っていいかもしれない。しかし実際は、人間はすべて本来無限定の存在である。無限定の存在とは、いま述べたとおり、あらゆる可能性を含む存在という意味だ。それを限定によって殺しているのだ。 |
| 詩人とは シ゛ート゛ (小説家) |
大詩人になるということが価値あることではない。 われわれは、ただ、純粋な詩人を目標にしなければならない。 |
| 詩人とは ゲーテ (詩人) |
ちかごろの詩人たちは インキ に水をたくさんまぜている。 |
| 詩人とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
私は、詩人肌だとか、芸術家肌だとかいふ乙な言葉を解しない。解する必要を認めない。実生活で間が抜けていて、詩では一ぱし人生が歌えるなどという詩人は、詩人でもなんでもない。詩みたいなものを書く単なる馬鹿だ。 |
| 詩人とは ボードレール (詩人) |
つねに詩人であれ、たとえ散文の場合にも。 |
| 自説とは 亀井勝一郎 (批評家) |
(略) 我々が自分の学問とか知識と称しているものは、一種の 「私有化」 状態にすぎないのである。即ち学問とか知識による自己限定である。それが固定化すると偏見となり、あるいは先入観となる。(略) その自説に対し、自ら絶えず懐疑していないような 「自説」 は悪徳となる。 |
| 思想とは アウク゛スチヌス (思想家) |
当時、私は、ぎっしりいっぱいの空虚であった (copiosa egestas)。 |
| 思想とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
「思いつめる」 という心の状態なしに、思想の形成はありえない。 |
| 習慣とは ヒルティ (哲学者) |
ひとは、怠惰、逸楽、浪費、無節度、吝嗇などの習慣をやしなうことができるように、勤勉、節制、倹約、誠実、寛容の習慣をも実際にやしなうことができる。そして、どんな人間的美徳も習慣になってしまわぬかぎり、たしかに身についたものにはならぬ。
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| 「主義」 とは 有島武郎 (小説家) |
この近道らしい迷路を避けなければならないと知ったのは、長い彷徨を続けた後のことだった。 |
| 「主義」 とは 有島武郎 (小説家) |
何という多趣多様な生活の相だろう。それはそのままで尊いではないか。そのままで完全な自然な姿を見せているではないか。(略) 主義者といわれる人の心を私はこの点において淋しく物足らなく思う。彼れは自分が授かっただけの天分を提げて人間全体をただ一つの色に塗りつぶそうとする人ではないか。その意気の尊さはいうまでもない。しかしその尊さの蔭には尊さそのものを凍らせるような淋しさが潜んでいる。 |
| 「主義」 とは 有島武郎 (小説家) |
何故お前はその立場に立つのだと問われるなら、そうするのが私の資質に適するからだというほかには何等の理由もない。私には生命に対する生命自身の把握ということが一番尊く思われる。即ち生命の緊張が一番好ましいものに思われる。
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| 上手とは 吉田兼好 (歌人) |
天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世のはかせにて、万人の師となる事、諸道かはるべからず。 |
| 小説とは 坂口安吾 (小説家) |
すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病める人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。
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| [ 悪い ] 小説とは A. フランス (小説家) |
よい小説とは果たしてどんな小説であるかということは容易でない。これに反して悪い小説はいずれも大体似たところがある。それらは鋳型にはめられて作られたような代物である。 |
| [ 真の ] 小説家とは ジード (小説家) |
下手な小説家は、その作中人物をつくり上げ、これを操り、これに喋らせる。真の小説家は、作中人物の言葉に傾聴し、かれらが行動するのを見守る。 |
| [ 善い ] 小説家とは 芥川竜之介 (小説家) |
最も善い小説家は「世故に長じた詩人」である。 |
| 知るとは レオナルド・ダ・ヴィンチ (画家、彫刻家) |
知ることが愛することだ。 |
| 知るとは ヴァレリー (詩人) |
いかに じぶん を知らないか、じぶん の書いたものを読みかえして初めて気がつく。 |
| 真実とは コクトー (詩人) |
ほんとうに奥深い人間は落ちこむものである。かれは昇らない。かれの死後長くたって、人々は埋没した その柱を、一度に全体を、または少しずつ、一塊ずつ発見するのである。 |
| 人生とは 森 鴎外 (小説家) |
生まれて今日まで、自分は何をしているのか。始終何物かに鞭うたれ駆られているように学問ということにあくせくしている。これは自分にある働きができるように、自分を仕上げるのだと思っている。その目的は いくぶんか達せられるかもしれない。しかし自分のしていることは、役者が舞台へ出て ある役を勤めているにすぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後に、別に何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。鞭うたれ駆られてばかりいるために、その何物かが醒覚 (せいかく) する暇がないように感ぜられる。 |
| 人生とは 上田 敏 (英文学者) |
一日延ばしは時の盗人、明日は明日は明日はか、、、。 |
| 推敲とは ヘ゛ートーウ゛ェン (作曲家) |
Immer Simpler. (もっと、もっと、単純に。) |
| 推敲とは ハ゜スカル (数学者) |
私は、この手紙をいつもよりもずっと長く書きました。 というのは、それを短く書く時間がなかったからです。 |
| 頭脳とは モンテスキュー (法制史家) |
神は、人間に頭脳をお授けなったとき、その中身まで保証しようとはされなかった。 |
| 制作とは ピカソ (画家) |
私にとっては、画は破壊の堆積である。私は画を描き、そして直ぐにそれを打ち壊す。だが結局のところ、何も失われてはいない。ここで切り捨てた赤は、また別な処に現れる。画を描きはじめると、よく美しいものを発見する。ひとはそれを警戒しなくてはならない。画を打ち壊し、何度でもやりなおすのだ。美しい発見を破壊するたびに、芸術家はそれを失ってしまいはしない。実際は、彼はそれを変化させ、緻密にし、より実質的にさせる。成功は発見を否定した結果である。 |
| 存在とは キ゛ットン (哲学者) |
存在の様相はどれほどさまざまであっても、存在というものは一つである。 |
| 体系とは キ゛ットン (哲学者) |
思考には骨組みとなるような体系が必要であるが、しかし人間が存在の体系と等しくなることは、おそらく不可能であって、真の救いは体系よりも方法を選ぶことであろう。 |
| 体系化とは キ゛ットン (哲学者) |
方法から体系へ、道程から真理への微妙な変貌は、きわめて悪質な誘惑であると思う。 |
| 再体系化とは フルトウ゛ェンク゛ラー (指揮者) |
全体を砕いて溶解し、またそれによって、私たちの音楽の場合を形象的に言えば、始源的な心的状況を再創造する、言わば創造に先行する混沌を再建し、その中からはじめて全体を新たに造形し直す、ただそれだけが作品を本源の形体において再現し、真に新しく創作することを可能にするでしょう。 |
| 知恵とは ゴーゴリ (小説家) |
どうかすると、この人生では、知恵の多いのが、ぜんぜん知恵がないよりも悪いことがしばしばある。 |
| 智的生活とは 有島武郎 (小説家) |
智的生活の出発点は経験である。 経験とは要するに私の生活の残滓である。 それは反省──意識のふりかえり──によってのみ認識せられる。(略) 即ち智識も道徳も既存の経験に基いて組み立てられたもので、それがそのまま役立つためには、私の生活が同一軌道を繰返えし繰返えし往来するのを一番便利とする。(略) だからもし私がこの種の生活にのみ安住して、社会が規定した智識と道徳とに依拠していたならば、恐らく社会から最上の報酬を与えられるだろう。 そして私の外面的な生存権は最も確実に保証されるだろう。 |
| 智的生活とは 有島武郎 (小説家) |
ある人が純粋に本能的の動向によって動く時、誤まって本能そのものの歩みよりも更に急ごうとする。そして遂に本能の主潮から逸して、自滅に導く迷路の上をまっしぐらに馳せ進む。そして遂に何者でもあらぬべく消え去ってしまう。それは悲壮な自己矛盾である。彼れの創造的意向が彼れを空しく自滅せしめる。知的生活の世界からこれを眺めると、一つの愚かな蹉跌として眼に映ずるかも知れない。たしかに合理的ではない。またかかる現象が知的生活の渦中に発見された場合には道徳的ではない。しかしその生活を生活した常体なる一つの個性にとっては、善悪、合理非合理の閑葛藤を挿むべき余地はない。かくばかり緊張した生活が、自己満足を以て生活された、それがあるばかりだ。
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| 哲学とは ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者) |
哲学は、本来的に、ただ詩作としてのみ書かれるべきである。 |
| 哲学者とは シオラン (哲学者) |
ひとりの哲学者の遺すもの、それは彼の気質だ、、、。生きれば生きるほど彼はますますおのれ自身に立ち帰ることになるだろう。 |
| 哲学の目的とは ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者) |
哲学における君の目的は何か? 蠅に蠅取り壺から脱出する路を示すことである。 |
| デッサン とは エドガール・ドガ (画家) |
デッサン は物の形ではない。デッサン は物の形の見方である。 |
| 天才とは ロタ゛ン (彫刻家) |
天才? そんなものは、けっして、ない。 ただ勉強です。方法です。 不断に計画しているということです。 |
| 天才とは 芥川竜之介 (小説家) |
天才とは僅かに我々と一歩を隔てたもののことである。 同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。 後代は又この千里の一歩であることに盲目である。 同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いている。 |
| 独学とは ファーブル (昆虫学者) |
独学にも それ相応の価値がある。 野生の果実も熟せば、温室の果実とは べつの風味がそなわる。 |
| 読書とは ラスキン (美術評論家) |
人生は短い。 この書物を読めば、あの書物は読めないのである。 |
| 読書とは 伊藤東涯 (儒学者) |
凡そ書を読むに流覧十過は熟読一過に如かず。 |
| 独創とは ユコ゛ー (小説家) |
独創は不正確の口実に使われてはならぬ。 |
| 習い事とは 吉田兼好 (歌人) |
年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。 |
| ニュアンスとは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
抹殺されたものに素早く眼をむけること、それが叡知というものである。 |
| 能力とは 林 語堂 (言語学者) |
どんな形式にせよ、人間の知識を考査したり測定したりできるという考え方は 捨てなければならない。 |
| 馬鹿とは エト゛ワート゛・ヤング (詩人) |
利口になるにも スヒ゜ート゛ が肝心だ。四十歳の馬鹿は、本物の馬鹿だ。 |
| 馬鹿とは 紫式部 (女流文学者) |
いとしも、物のかたがた得たる人は難(かた)し。ただ わが心のたてつる筋をとらへて、人をばなきになすなめり。 |
| 馬鹿とは バーナード・ショウ (劇作家) |
馬鹿な人間が気恥ずかしいことをやっているとき、そいつは いつでも、これが 義務なんだ と断言する。 |
| 発想とは キ゛ットン (哲学者) |
発想に富んだ豊かな頭脳をもつことは、決して危険なことではない。 幻影を神託と思ったり、自分の精神の痙攣を何か内面的な直観だと思ったりすることがなければ。 |
| 反・科学主義 ウィトケ゛ンシュタイン (哲学者) |
はじまりを みいだすことは むずかしい。 否、はじめにおいて はじめることが。 そして、さらに、そこから遡ろうとしないことが。 |
| 判断とは アラン (哲学者) |
人は自分の持っていないものを悪く判断するものである。 |
| 判断とは ヴァレリー (詩人) |
もっとも偉大な人間とは、かれ自身の判断に信頼することを敢えてした人間である。もっとも愚かな人間もまた、それと同様である。 |
| 美とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
美しい花がある。 「花」の美しさという様なものはない。 |
| 美とは アラン (文芸評論家) |
規則をもたぬ即興は美しくない。 |
| 美とは 坂口安吾 (小説家) |
美というものは物に即したもの、物そのものであり、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。美は悲しいものだ。孤独なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものだから。 |
| 美とは ボードレール (詩人) |
美を表現しようとつとめる人間が、審査委員先生の規則なるものを拳々服贋したとすれば、美そのものが地上から消え去る羽目になるだろうことは、だれにだって簡単に解ることだ。 |
| [ 間違った ] 比較とは 芥川龍之介 (小説家) |
百足 「ちっとは足でも歩いて見ろ。」 蝶 「ふん、ちっとは羽根でも飛んで見ろ。」 |
| 批判とは 世阿弥元清 (能役者) |
そもそも、能批判といふに、人の好みまちまちなり。しかれば、万人の心に合はんこと、左右 (さう) なくありがたし。さりながら、天下におし出されん達人を以て、本とすべし。 |
| 批判とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
人は如何にして批評というものと自意識というものを区別し得よう。彼 (ボードレール) の批評の魔力は、彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が おのれであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない。批評とは畢に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか ! |
| 批評とは アラン (哲学者) |
名観客になるのには、おそらく 名優になるくらいの時間がかかる。 |
| 批評とは 荻生徂徠 (儒学者) |
自分より見え申さざる内は批評も無益に候。 |
| 暇とは ホ゛-ト゛レ-ル (詩人) |
ぼくが、いくらかでも偉くなったのは、暇のせいだ。 ただし、ぼくの非常な損失において。 なぜなら財産がなくて暇があれば、借金はふえるばかり、借金に伴う屈辱もふえるばかりだから。 |
| 表現とは スタンダール (小説家) |
表現は芸術のすべてである。表現のない絵画は、一瞬眼を喜ばす映像であるにすぎない。 |
| 表現とは 志賀直哉 (小説家) |
作者は どんなに変わったものを書いたつもりでも、真似でないかぎり、決して じぶん以外には出られない。安心して どんな事でもやって見るがいい。 |
| 文学とは 夏目漱石 (小説家) |
私は始めて文学とは何 (ど) んなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。 |
| 文章とは ルソー (思想家) |
他の作家のように文章に凝って文字にあくせくしていると、じぶんというものが描けない。それに粉飾を施してしまうおそれもある。私が書きたいのは、自分という人間で、美しい本ではない。
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| 文体とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
現実といふものは、それが内的なものであれ、外的なものであれ、人間の言葉というようなものと比べたら、凡そ比較を絶して豊富且つ微妙なものだ。そういう言語に絶する現実を前にして、言葉というものの貧弱さを痛感するからこそ、そこに文体というものについていろいろと工夫せざるを得ないのである。工夫せざるを得ないのであって、要もないのにわざわざ工夫するのではない。
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| 文体とは フローベル (小説家) |
巧みに書かれたものは、読む人を少しもあかせない。文体──これこそ生命だ。これこそ思想にとって血液そのものである。
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| 文体とは ヴァレリー (詩人) |
「飾られた」 文体。文体を飾ること。ありのままの、清潔な文体を書ける人だけが、真に文体を飾ることができる。
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| 文体とは ジロドゥー (劇作家) |
唯一の仕事は、文体を見出すことで、思想は後からやって来る。
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| 文体とは ビュッフォン (植物学者) |
立派に書かれた作品のみ後世に残るであろう。知識の量、事実の特異性、探究された内容の新しささえ、作品の不朽を確実に保障するものではない。これらの事柄はその人間の外にある。文体はその人間自体である。
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| 分類とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
現代の社会は様々の限定によって成立し、いかなるものも名称によってある ワク をはめられている。たとえば、職業、流派、党派、さまざまの思想、イデオロギー、その他のすべての芸術作品にしても、そこにはかならず分類があり、分類による限定がある。これは、社会生活の便宜上、やむをえないことではあるけれど、しかし限定とはあくまでも一つの仮設にすぎない。この自覚をもつことが必要なのではなかろうか。社会はこの仮設の上に成立しているが、この仮設を一度破壊してみてはどうか。
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| ポエジー とは ジャン・ジュネ (小説家) |
詩とは、精根を涸らす努力によって得られる世界像である。 ポエジー とは意志的なものだ。 |
| 本能的生活 とは 有島武郎 (小説家) |
無元から二元に、二元から一元に、保存から整理に、整理から創造に、無努力から努力に、努力から超越力に、これらの各の過程の最後のものが今表現せらるべく私の前にある。 |
| 真似とは 世阿弥元清 (能役者) |
至りたる上手の能をば、師によく習ひては似すべし。習はで似すべからず。上手は、はや究め覚え終りて、さて、安き位に至る風躰 (ふうてい) の、見る人のため面白きを、唯 (ただ) 面白きとばかり心得て初心、是れを似すれば、似せたりとは見ゆれども、面白き感なし。 |
| 真似とは レッシング (劇作家) |
僕に真似のできにほど器用な動物がいたら言ってみたまえと、猿が狐に向かって自慢した。すると狐は答えた。君の真似をしようという気になるような、くだらない動物がいたら、言ってもらいたいものだ。わが国の作家たちよ、私はもっとはっきりと説明する必要があるのだろうか? |
| 真似とは 松尾芭蕉 (俳人) |
かりにも古人の涎 (よだれ) をなむることなかれ。(略) この道に古人なし。 |
| 真似とは 紫式部 (女流作家) |
心浅げなる人まねどもは、見るにも からはらいたくこそ。 |
| 迷いとは ケ゛ーテ (小説家) |
人間は努力しているあいだは、迷うにきまったものだ。 [ ファウスト ] |
| 無神経とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
明快に言いあらわすことは大切だ。 しかし無神経なために明快である場合もある。 |
| 目的とは 吉田兼好 (歌人) |
一事を必ずなさむと思はば、他の事の破るをもいたむべからず。 人のあざけりをも恥づべからず。 万事にかへずしては、一つの大事成るべからず。 |
| 問題とは 亀井勝一郎 (批評家) |
さまざまな問題に直面するとき、それを出来るだけ早く解決したいと思うのは当然である。しかし問題というものの性質から言って、それが容易に解決しがたいものであればあるほど問題としての重要性を増すものだ。 |
| 弱い人間とは 有島武郎 (小説家) |
偽善者なる私にも少しばかりの誠実はあったといえるかも知れない。けれども少なくとも大胆ではなかった。私は弱かったのだ。(略) 彼れ (佐藤正美 註、ニーチェ のこと) も亦弱い人の通性として頑固に自分に執着した。 |
| リアリズム とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
北斎は化けものを描く名手であった。 人間のあらゆる姿態と表情を追求しつくしたあげく、そうなったのである。 冷徹な リアリス゛ム のそれは所産である。 空想家は決して化けものを描くことはできない。 |
| 理解とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
伝わるということは奇蹟に近い。 いかに 多くのことが省略され、歪曲され、あるいは忘却されたか。 伝わるということは一種の受難でもある。 |
| 理解とは 小林秀雄 (文芸評論家) |
誰も思想の或る型など信じて生きているわけではない。又、生きられもしない。理解するという事と信ずるという事は、人間が別々の言葉を幾時の間にか必要としていた その事が語っている通り、全く性質の違った心の働きである。人間は、万人流に いくらでも理解するが、自己流にしか決して信じない。 |
| 若い世代とは 孔子 (儒家の祖) |
後生畏るべし。 焉 (いずく) んぞ来者 (らいしゃ) の今に如 (し) かざるを知らんや。 |
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