| ● 思想の花びら | way out >> | |||
| 職業と労働と成功 | 芸術と学問と勤勉 | 友情と恋愛と家庭 | 自然と文化と衣食住 | 生と死と信仰 |
| 安心とは アンドレ・プレヴォ (評論家) |
伝染病に罹っているひとは、隣人も感染したことを知ると、大いに安堵の胸を撫でおろす。 |
| 安心とは ニーチェ (哲学者) |
きみは生を容易にしたいか。それならばつねに群衆の間にとどまれ。そして群衆といっしょになって、われを忘れよ。 |
| お洒落とは シェークスヒ゜ア (劇作家) |
財布の許すかぎり身のまわりには金をかけるがいい、といって、けばけばしく飾りたてちゃいかん。凝るのはいいが、華美は禁物。たいてい着るもので人柄がわかるものだからな。 (「ハムレット」) |
| 外見とは ジード (小説家) |
見かけだけの価値は厳密に持つこと、そして価値以上には見せかけないこと。 |
| 買い物とは マルクス・ホ゜ルキウス・カトー (政治家) |
きみのほしいと思うものを買うな。 必要なものだけを買え。 |
| 感情とは ロマン・ロラン (小説家) |
人間の感情の四分の三は子供っぽいものだ。しかも その残りの四分の一だって子供っぽいものだ。 |
| 教養とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
大切なことは、自分が身につけたと思い込んでいる教養のすべてを、根底から破壊してみることである。 |
| 教養とは 夏目漱石 (小説家) |
こうして ひげ をはやしたり、洋服を着たり、シガー をくわえたりするところを うわべから見ると、いかにも 一人前の紳士らしいが、実際 僕の心は 宿なしの乞食みたいように 朝から晩まで うろうろしている。二十六時中 不安に追いかけられている。情けないほど落ち着けない。しまいには世のなかで自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。
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| 金銭とは ドストエフスキー (小説家) |
いま私はやっと五十五歳でまだ男の部類に属するが、これから先二十年くらいはまだまだ男の部類にはいっていたいものだ。だがそんな汚らしい老人には、だれも喜んで寄りそってはくれないだろう。さてそこで必要になってくるのが金である。 (「カラマーゾフ の兄弟」)
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| 言語生活とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
すべての表現が、宣伝の性格を帯びることほど言語生活にとって危険なことはない。 |
| 言語生活とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
中途半端の外来語と、崩れた日本語と、その混血が、現代の言語生活の悲劇である。 |
| 行為とは 芥川龍之介 (小説家) |
われわれの行為を決するものは善でもなければ悪でもない。ただわれわれの好悪である。あるいはわれわれの快不快である。そうとしかわたしには考えられない。 |
| 後悔とは エッシェンハ゛ッハ (小説家) |
後悔とはなにか。われわれが、あるがままの おのれ でしかないという1つの大きな悲しみである。 |
| 幸福とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
空想してはならない。 不平家とは幸福についての空想家であって、自分と他人とを比べては いつも嫉妬心に悩まされている。 |
| 心とは 有島武郎 (小説家) |
人間の生命的過程に智情意というような区別は実は存在していないのだ。生命がある対象に対して変化なく働き続ける場合を意志と呼び、対象を変じ、もしくは力の量を変化して生命が働きかける場合を情といい、生命が二つ以上の対象について選択をなす場合を智と名づけたに過ぎないのだ。人の心的活動は三頭政治の支配を受けているのではない。もっと純一な統合的な力によって総轄されているのだ。(略) 虹彩を検する時、赤と青と黄との間に無限数の間色を発見するのと同一だ。(略) 分解された諸色をいかに研究しても、それから光線そのものの特質の全体を知悉 (ちしつ) することはできぬと同様に、智情意の現象を如何に科学的に探究しても、心的活動そのものを掴むことは思いもよらない。
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| 個性とは 「荘子」 (荘周) |
世俗の人、皆人の己に同じきを喜びて、人の己に異なるを悪 (にく) む。 |
| ことば とは オスカー・ワイルト゛ (小説家) |
重大な問題の場合には、物の言いかたが美しいか美しくないかってことが大切なんです。ほんとうか嘘かなんて問題じゃないんです。 |
| ことば とは 貝原益軒 (儒学者) |
言葉多ければ口のあやまち多く、人に憎まれ、わざはひ起こる。つつしみて多く言ふべからず。 |
| ことば とは 吉田兼好 (歌人) |
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。 |
| ことば とは 柳田国男 (民俗学者) |
現今は言語の効用が やや不当と思われる程度にまで、重視せられている時代である。言葉さえあれば、人生のすべての用は足るという過信は行き渡り、人は一般に口達者になった。もとは百語と続けた話を、一生涯せずに終わった人間が、総国民の九割以上もいて、今日いうところの無口とは まるで程度を異にしていた。それに比べると当世は全部が おしゃべりといってもよいのである。 |
| 酒 とは コ゛ーリキー (小説家) |
理窟をこねるのは どんなときでも馬鹿げたことだ。まして酒に酔ったうえでの屁理窟などは問題でない。酔うために必要なのは酒で、良心の苛責や歯ぎしりではない。(注) (注) 原文では、vodka (ウオツカ) になっているのですが、「酒」 にしました。 |
| 酒 とは 清少納言 (随筆家) |
かたはらいたきもの、----思ふ人のいたく酔ひて、同じことしたる。 |
| 酒 とは 吉田兼好 (歌人) |
月の夜、雪の朝、花のもとにても、心長閑 (のどか) に物語して盃出したる、万の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも心慰む。冬せばき所にて、火にて物いりなどして、へだてなきどちさしむかひておほく飲みたる、いとをかし。 |
| 自然とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
驚異すべき秘密をこっそりと内にひそめた平凡さ、これが自然というものではなかろうか。 |
| 自然とは 芥川竜之介 (小説家) |
われわれの自然を愛する所以 (ゆえん) は、──すくなくとも その所以の一つは自然は我々人間のように妬んだり欺いたりしないからである。 |
| ジャーナリズムとは 亀井勝一郎 (批評家) |
この文明の利器 (ジャーナリズム) は、事物そのものに直接ふれることなしに、事物そのものを見たという錯覚を生ぜしめやすい。(略) 即ち 「性急な裁断による限定」 という形をとる。それは限定であるが故に明快な外観を呈するが、この種の 「明快さ」 に我々現代人は毒されていないだろうか。 |
| 社会とは 亀井勝一郎 (批評家) |
自己形成のために社会的条件が必要であることは言うまでもないが、その社会という言葉をよく吟味して行くと一つの抽象的性質にぶつかる。なぜ抽象的かというと、社会という概念だけはもっているが、さて実質的に自分の目で見、自分の手で直接触れる範囲を考えると、それは実に狭い。自分の家族とか職場とか団体とか、そういう限られた範囲内で我々は活動している。そして、一般にひろく社会という場合には、その大部分は様々の報道機関とか書物とか映画を通して 「考えられた社会」 むしろ 「軽信された社会」 であって、その意味で私は抽象的なものとよびたいのだ。たとえば ジャーナリズム が示す社会は果して社会であるか。社会学が教える社会は果して社会であるか。そういう疑問をもてということだ。私の恐れるのは社会的観念だけで物事を見て判断して、その実質にふれることの極めて少ないことである。社会的関心は無用だと言うのではない。むしろ逆に我々が社会的関心と呼んでいるものが、果して正当に社会的関心かと自己に問うてみよと言いたいのだ。 |
| 自由とは エッシェンハ゛ッハ (女流作家) |
幸福な奴隷は、自由のもっとも憎むべき敵である。 |
| 自由とは 芥川竜之介 (小説家) |
自由主義、自由恋愛、自由貿易、──どの 「自由」 も生憎 (あいにく) 杯の中に多量の水を混じている。しかも大抵は たまり水を。 |
| 自由とは 亀井勝一郎 (批評家) |
一体、自分で自分を束縛するとはどういうことであるか。その一つは、人間の認識能力と称するものへの 「我執」 と言ってもよかろう。人は 「自分の観点」 「自分の立場」 なるものをひとたび決めてしまうと、それに執着し、そのことで自己を束縛してしまうものである。自分の 「観点」 とか 「立場」 への懐疑を失ったところに、自ら意識しない 「不自由さ」 が生ずる。自分では 「自由」 であると錯覚しながら。
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| 勝負とは ラ・ロシュフコー (批評家) |
賢人は勝負に勝つよりは勝負に加わらないことを利とする。 |
| 食物とは 貝原益軒 (儒学者) |
食は身をやしなふ物なり。身を養ふ物を以て、かへつて身をそこなふべからず。 |
| 人生とは ショーペンハウアー (哲学者) |
青年の立場から見れば、人生は無限に長い未来なのだが、老人の立場から見れば、それは非常に短い過去にすぎない。若い頃には、ちょうど オペラグラス の対物 レンズ を眼にあてた時の物体のように見えるが、晩年には、接眼 レンズ を眼にあてた時のように見える。人生がいかに短いかを認識するためには、人は年をとってしまわなければならない。つまり、長生きをしてみなければならないのだ。 |
| 人生とは ショーペンハウアー (哲学者) |
青年期には直観が支配し、老年期には思索が支配する。だから青年期は詩作に適した時期であり、老年は哲学に適する時期である。実践的にも、青年期には人は直観したものと その印象によって決心するが、老年期には もっぱら思索によって決心する。
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| 人生とは 芥川竜之介 (小説家) |
人生は一箱の マッチ に似ている。 重大に扱うのは ばかばかしい。 重大に扱わなければ危険である。 |
| 人生とは 芥川竜之介 (小説家) |
人生は一行の ボードレール にも若 (し) かない。 |
| 人生とは ショーペンハウアー (哲学者) |
人生の知恵の一つの重要な点は、われわれが自分の注意を一部は現在に対し、一部は未来に対して払う割合が正しく保たれていて、一方のために他方をだいなしにしないようにするところにある。多くのひとびとはあまりにも現在に生きすぎる軽薄な連中であり、──他のひとびとはあまりにも未来に生きすぎて、臆病な心配家になってしまう。
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| 人生とは 芥川竜之介 (小説家) |
人生はつねに複雑である。 複雑なる人生を簡単にするものは、暴力よりほかにあるはずがない。 |
| 人生とは 「大学」 (儒教の経書) |
苟 (まこと) に日に新たに、日に日に新たに、又日に新たなれ。
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| 人生経験とは バーナード・ショウ (劇作家) |
四十歳を過ぎた男は だれでも みな悪党である。 |
| 人徳とは 荘子 (荘周の作 ?) |
巧を以て人に勝つことなかれ。謀を以て人に勝つことなかれ。戦を以て人に勝つことなかれ。 |
| 新聞とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
我々は新聞の活字の大小によって左右されながら生きている。 |
| 精神とは 西行桜 (謡曲) |
埋木の人知れぬ身と沈めども、心の花は残りけるぞや。 |
| 精神錯乱とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
感動を失ってただ刺激だけを求め、 沈黙を失って饒舌となり、 熟考力を失って即断し、 自分で自分の言ったことを忘却する。 .....精神錯乱の前兆である。 |
| 制服とは アラン (哲学者) |
制服というものは、人間に安堵と尊厳とを同時に与える。 そしてあらゆる服装は多かれ少なかれ制服である。 |
| 束縛とは ジード (小説家) |
人間は束縛によってのみ自己を絶滅から救いうる。 |
| 俗物とは ゲーテ (小説家) |
俗物は、じぶんとは異なる状態を否定するばかりでなく、すべての他の人間たちも じぶんと おなじ仕方で生活すべきだと思っている。 |
| 即効性とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
薬の濫用というが、実は「即効薬」を濫用しているのだ。 何事においても即効性だけをのぞむこと、これが自然を失った現代人の病気である。 |
| 楽しみとは シャルト゛ンヌ (小説家) |
うまい食事、友情、健康、恋愛、物の所有などが、貧しい人々の楽しみである。 |
| 楽しみとは 鴨長明 (随筆家) |
身を知り、世を知れば、願はず、わしらず (世事に奔走しない)。 ただ、しずかなるをのぞみとし、うれへなきを たのしみとす。 |
| 旅とは 松尾芭蕉 (俳人) |
旅の具多きは道のさはりなり。 |
| 手紙とは キケロ (政治家) |
手紙では、ひとは赤面しない。 |
| 手紙とは 吉田兼好 (歌人) |
手のわろき人の、はばからず文かきちらすは、よし。見ぐるしとて、人にかかするは、うるさし。 |
| 道徳とは A. フランス (小説家) |
道徳とは風習の科学である。それは風習とともに変化する。 それはあらゆる国において異なり、どこでも十年と同じではない。 |
| 人間とは 井原西鶴 (小説家) |
一日まさりになじめば、人ほど かはいらしき者はなし。 |
| 人間とは ラ・ロシュフコー (批評家) |
人間一般を知ることは、ひとりひとりの人間を知ることより、やさしい。 |
| 人間とは オスカー・ワイルト゛ (小説家) |
人間のことを、あの人は良い人だとか、この人は悪い人だとか、そんなふうに区別するなんて、まったく馬鹿げた話ですよ。人間は魅力があるか、さもなければ退屈か、そのどちらかですからね。 |
| 人間とは イプセン (劇作家) |
一体ね、人間というものは、まるで ドブ 鼠かなんぞのように、ガタガタ 大騒ぎをやるくせに、広い外の世間の存在を忘れている。 くだらん、狭い判断を下して得々としているんだ。 まるで、なっちゃいない。 |
| 病気とは 亀井勝一郎 (批評家) |
肉体上の病気にもまして危険なのは、今日の我々の精神状態そのものが、様々の意味で病的になっていることである。文明が進歩すると、新しいすぐれた薬が発見されると同じ程度に、また毒薬の方も発達するものである。(略) 自分の内面に即して、いかなる意味で自分が病的であるかという、そういう自覚をもつことは極めて大切ではなかろうか。自分は健康であると思いこんでいる方が却って危険だ。 |
| 貧乏とは ナポレオン 一世 (軍人) |
いつまでも貧乏でいるための最も間違いのない方法は、いわゆる君子人であることだ。 |
| 不作法とは ラ・ブリュイエール (批評家) |
よく語るだけの才知も持たず、さればといって、黙っているだけの判断も持たないことこそ、大きな悲惨である。これこそ あらゆる無作法の源である。 |
| 文化の低下とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
ある時代の文化の低下を示す最も端的な例は、質問が露骨になり、回答が単純になることだ。 |
| 満足とは ゲーテ (詩人) |
人間は じぶんのおかれた境遇に満足していることが なんと少ないのだろう。 みんな じぶんの隣人の境遇を好ましく思っているのだが、その隣人のほうも、おなじように、なんとかして じぶんの境遇から抜け出したいと思っているのだ。 |
| 有名 (売名) とは 列禦寇 (中国の道家思想家) |
名を去れば憂いなし。 |
| 欲望 とは 礼記 (五経の一つ) |
傲 (おごり) は長ずべからず、欲は縦 (ほしいまま) にすべからず、志は満たすべからず、楽 (たのしみ) は極むべからず。 |
| 欲望 とは 芥川竜之介 (小説家) |
物質的欲望を減ずることは必ずしも平和を齎 (もたら) さない。我々は平和を得る為には精神的欲望も減じなければならぬ。 |
| 旅行とは フロヘ゛ール (小説家) |
旅行は人間を謙虚にします。 世のなかで人間の占める立場がいかにささやかなものであるかを、つくづく悟らされるからです。 |
| 歴史とは 亀井勝一郎 (文芸評論家) |
歴史は二度とくりかえさない。しかし悪いことにかぎって幾たびもくりかえすように思われるのは、悪いことの可能性が人生には はるかに多いからだ。希望の予言よりも絶望の予言のほうが当たる。 |
| 歴史とは 倉田百三 (小説家) |
私は人間の悪が根深い根深いものに見える。ふたりや三人の力で抵抗してもなんの苦もなく押しくずされるような気がする。私の父、父の父、また私のあずかり知らない他人、その祖先、無数のひとびとの結んだ恨みが一団となってうずまいている。私はその中に遊泳しているにすぎない。 |
| 老年とは ベンジャミン・フランクリン (政治家) |
みんな長生きしたいのですが、年をとりたくないのです。 |
| 老年とは 貝原益軒 (儒学者) |
老人の保養は常に元気を惜しみて滅すべからず。気息を静かにして荒すべからず、言語を穏やかにして早くせず、言少くし、言語あららかに、口ばやく声高く揚言すべからず。怒なく憂なく、過ぎ去りたる人のあやまちをとがむべからず、わが過ちを悔ゆるべからず、人の無礼なる横逆を怒り恨むべからず、これ皆老人養生の道なり、また老人の徳行の慎みなり。 |
| 私とは 有島武郎 (小説家) |
思えばそれは淋しい道である。 最も無力なる私は私自身にたよるほかの何物をも持っていない。 |
| 笑いとは パニョル (劇作家) |
何を笑うかによって、その人の人柄がわかる。 |
| 悪口とは ウ゛ォルテール (詩人) |
人は何も言うことがないと、いつも悪口を言う。 |
| 悪口とは 紫式部 (女流作家) |
すべて、人をもどく(* 1)かたはやすく、わが心を用ゐんことは難 (かた) かるべきわざを、さは思はで、まづわれさかしに、人をなきになし、よをそしるほどに、心のきは(* 2)のみこそ見えあらはるめれ。。 (* 1) 悪口を言う。 (* 2) 心の底 (の浅はかさ)。 |
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