思想の花びら 2017年12月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  記憶をもたぬ、暗黙の記憶すら新しい人間には、距離を積ることもできなければ、一わたりいろいろの物を考えてみることもできない。僕らのように推測することもできない。つまりは見ることもさわることもできない。記憶とは切り離された働きでも、切り離すことのできる働きでもない。(略) もし、どんなものの知覚のうちにも、幾千という記憶が閉じこめられているものだとすれば、その物は他のさまざまな物のただ中で考えられた物ということになる。(略) これはすでに、現在はないがいずれ姿を現わすものという考えを仮定している。存在し、しかも存在しない同じ物、もっとくわしくいえば、姿を隠しているが、時間のある条件のもとでは姿を現わす同じ物を協力して取捨するというこの不思議な関係から、すでに時間というものがどうやら限定されているといえる。たとえば、僕の背後にある町とは、僕が三十分かかれば行ける町だ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  無常なる存在であることを自覚することによって、死を確認すること、執着深い存在であることを自覚することによって、罪を確認すること、激変する存在であることを自覚することによって、狂気を確認すること。私たち自分の心をふりかへつてみると、この三つをことごとく兼ね備へてゐるわけで、人間にはいろんな可能性がありますけれど、むろんよりよくなる可能性もあるが、いまのやうな、非常な危険もはらんでゐる。人間である以上みなさうだと言つていゝでせう。

 


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