思想の花びら 2018年10月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  僕らの認識は、事実によって整頓され、事実によって制限されるとだれでもいうが、一般に充分理解されているとはいえぬ。経験とはあらゆる僕らの認識の形式だが、僕らは観念をおきざりにして、経験から出発するわけにもいかないし、ある観念と他の観念とどちらを取るか経験が定めるわけでもない。事実とは、学問により組み立てられ、諸観念、ある意味では、あらゆる観念によって定められた物自身だ。事実をつかむのには周到な用意がいる。
  地球が回るとは事実だ、この事実をつかむには、念入りにつくりあげたいろいろな関係に準じて、たくさんの他の事実をいっしょに集めてみなければならぬ、しかもこのたくさんの事実が、めいめい同じ種類の条件をになっている。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  無常の観念は、人間の生の驚くべき不安定に対する開眼より生ずる。あくまで現世の覚醒者たることだ。(略) 事物の実相について正確さを期する、勁い忍耐からのみ無常の観点は生ずるのであらう。
  然るにいま我々の心に忍びよる無常感は、何故漂ふやうな一種の情緒にすぎないのか、本来の面目たる苛烈さが消え失せて、その陰影だけが足をひいてゐるやうに思はれる。陰影は美しく魅惑的である。爛熟のしるしともいへよう。だがそれにとらはれたとき、人は求道の力を失つて一個の趣味人と化す。

 


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