思想の花びら 2019年 4月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  深淵にのぞんでまず簡明な運動を投げ、あたかも網が魚類を捕え引き寄せるように、これを試験し複雑化して、ついに運動の正確な目録を編みだすあの精神の働きというものを (略)。メカニスム とはまさしく自由の証明であると同時に、自由の手段ないしは道具である (略)。自然はこのとてつもない システム をささえていてくれるが、この システム を提供してくれはしない。
  運動による変化の表象とは断じて偏見である。玉突きの玉がころがるような簡単な場合でも、その外観には運動の仮説を強制するなにものもない。(略) 玉は同一時には一つの場所にあるほかはないのだから、運動を呈示するのは決して玉ではない。(略) メカニスム もまた同じように僕らが欲したところのもの、選んだところのものだ。むろん選びやすいから選んだのではない。容易だということなら夢を見ている方が容易なわけだ。あらゆる呪文を祓う恩人として、精神の武器として、僕らは運動というものを選びとったのである。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  それは一つの幻想の放棄を教へつゝ、別の幻想をもたらしたからである。(略) 抑圧された活き物の嘆息は、畢竟 パン の保証によつて消え去るといふ驚くべき独断に達して行つたのであつた。人間の物質的関係こそ一切の基本であると。(略) 人間にとつての実体は人間自身であり、神はたゞ幻想にすぎぬといふ。宗教は、人間が自分自らを中心に動くやうになるまでの間だけ、人間の周囲をめぐる幻想的太陽にすぎないといふ。この自力の確認が我らを 「物質」 と 「生産」 に密着せしめた。(略) 一理論の裡に人間を限定し、刑罰をもつて抑制し、然る後与へられた パン が果して最上の美味であるか。それでも飢ゑよりはましであるか。

 


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