思想の花びら 2019年 4月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  これは哲学者の大きな秘密だが、どんな証明も証明自体で一本だちできるものではない。証明は常にどこからか外敵を受けているもので、ただ鉄条網を張りめぐらして防禦しているようでは、さっそく圧倒されてしまうのである。精神は証明の背後にかくれているのでは強い精神といえない、証明の唯中に身を置き、証明を常に激励しているようなものが精神だ。(略) 哲学とはまさしく倫理学であり、空虚な好奇心ではないことを知らねばならぬゆえんだのだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  信仰そのものが迷ひの所作である。つねに危機の上にのみそれは彷徨ふといふ意味だ。故に 「私は信仰を得た」 と云ふものも、「私は不信の徒である」 と明言するものも、いづれも傲慢で粗暴な自己欺瞞におちいつてゐるのである。むしろ信と不信と、そのあはひの戦慄に人間の受難があるのではなからうか。而して後、彼方よりおのづからに来るものに一切を委ぬべきなのだらう。むろん、何ぴともその時期を予測しえない。神の恩寵は推量しえない。

 


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