思想の花びら 2019年11月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  たとえば正確な科学上の証明のようなものでも、僕にとって眼前の死物にすぎないこともしばしばある。その証明が立派だと、僕は承知している、が、その証明は立派だとは僕には証明してはくれない。その証明を蘇生させるにはよほどの骨折りが必要だ。放っておけばいよいよ僕から遠ざかるものだ。しかし蘇生するときにはいつも新しい姿を現わす、汚れない姿を現わす。もし諸君にそんな経験がないなら、先生として プラトン を選びたまえ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  様々の仏体のなかでも、観音像にはとくに美貌と柔軟性を追究したものが多く、形相から云へば厳粛な観音像をもととするが、これに艶麗な天女形を加味し、云はば東洋の ヴィーナス とでもいふべき位置を占めてゐる。(略) 飛鳥仏に宿る祈りは厳しく思索的であり、白鳳仏に宿る祈りは柔軟に音楽的であり、天平仏となればこれに舞踊性が加はる。仏師の芸術的才腕の推移を示すとともに、信仰の微妙に消化されて行く相を語つてゐるのはなからうか。

 


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