思想の花びら 2022年 2月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  人々の他人に関する意見というものは、断固として人を処罰するほどに断固としたものではない。どんな処罰も苦痛をもたらす。子供というものは感心しないという意見を持ったからといって、子供にそれを白状するやつは困りものだろう、子供のいちばんいいところだけを信じてやるに越したことはあるまい。大人だってそうだ。だれにもいやな思いをさせずに話をしなければならぬという事態に立ち至ったら、自分のことも他人のことも話さず、事物について口をきくことだ、事物をどう判断しようが事物をどうするわけでもない。
 いろいろな効果を経験してみて、教育と礼儀とがこういう思慮に導く。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  まず悪魔の第一の試みは、「汝もし神の子ならば、この石に命じて パン とならしめよ」 である。即ち人間にとっても切実な生活の問題、パン の問題が提出される。いかに信仰を説き、高遠な理想を語っても、今日自分たちが生きるための パン が保証されないかぎり、その一切は無意味ではないか。神の子ならば、この石を変じて パン となし、まず パン を保証せよ、それが出来ないかぎり、汝の信仰、汝の理想とは空悟にすぎないのではないかと悪魔は言う。おそらく万人の心の中ににある 「現実的な」 要求にちがいない。

 


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