思想の花びら 2022年12月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  精神が道化者然と芸当を演じたり、賦役労働のようなことに甘んじているとき、じつは人は無秩序の頂上にある。だが、僕が考えているとき、その効果だとか条件だとかに注意を払わぬものだ、ということを見抜いておくべきで、人間には自分は考えていると反省すると同時に充分に考えることはできないものだ。自己修練とか努力とかではなく、むしろ暫時の逃走、あるいはすべての物からの超脱、万事を抛棄して一事に専心する必要もここに生じるので、真の観察家は放心したように見えるといわれるゆえんだ。要するに、ラ・ブリュイエール が言ったように、なにごとにも拘泥せずなにものにも駆られない、ということが必要だ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  怯懦の群に堕さないための三つの原則を、私は人生の根本問題として考えてみたい。
  第一は、困難の設定である。たとえば神を肯定するか否定するかといった問題は、言うまでもなく短時間で決することは出来ない。一生かかっても解決することの出来ないような永続性あるテーマである。人生を人生として確立させるためには、必ずこうした性質の課題を一つでいいから背負うことが必要だ。私はそれを困難の設定と呼ぶ。怯懦とはこうした困難の回避である。「神に逆ひしにもあらず、また忠なりしにもあらず」 と言っているのがそれである。

 


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