2008年 1月 1日 「理論編-8 『意味の対応説』 と 『意味の使用説』」 を読む >> 目次に もどる
2013年 1月23日 補遺  


 理論編-8 は、理論上──意味論の観点から──、本書で最大の要 (かなめ) になる編です。

 理論編-7 が、技術上──構文論の観点から──、本書の最大の要 (かなめ) であることを、前回、説明しました。T字形 ER手法に関して、本書に先立って、「論理 データベース 論考」 を 2000年に出版していました。「論理 データベース 論考」 では、以下の 2点を テーマ にしていました。

 (1) T字形 ER手法に関して、「意味論」 の前提を移す。
   (「写像理論 (意味の対応説)」 から 「言語 ゲーム (意味の使用説)」 へ)。

 (2) 数学基礎論 (あるいは、ロジック) に関して、「構文論」 の基礎技術を棚卸し (確認) する。

 
 TM (T字形 ER手法) の意味論的前提を変えるために──すなわち、「意味の対応説」 から 「意味の使用説」 へ移すために──「論理 データベース 論考」 を執筆したのですが、TM を作ってきて以来、始終、私を苦しめてきた難問が、個体 (entity) を 「『event』 と 『resource』」 という 2つの クラス (あるいは、「型」) に分類した点でした。言い換えれば、「『関係』の性質 (対称性・非対称性)」 を モデル のなかで、いかに扱えば良いか、という点でした。

 TM は、ウィトゲンシュタイン 氏の哲学を借用して作られています。ウィトゲンシュタイン 氏は、前期哲学では、「意味の対応説」 を示し、後期哲学では、「意味の使用説」 を説きました。そして、TM は、かれの哲学の変化に対応させて、意味論的前提を移しました。しかし、「意味」 に関する考えかたを、「対応説」 から 「使用説」 へ移すときに、私の前に立ちはだかったのが、かれの前期哲学で示されていた以下の文です。

    In logical syntax the meaning of a sign should never play a role. It must be possible to
    establish logical syntax
    without mentioning the meaning of a sign: only the description of expressions may be
    presupposed.
    (Italic 体の強調は、原文のまま)

 (この文の意味は、前回 [ 理論編-7 で ] 説明しましたが、) ウィトゲンシュタイン 氏は、「論理的構文論では、記号の意味が役割を演じてならない」 と断じています。しかし、TMは、コッド 関係 モデル を意味論的に強化するために、個体 (entity) に対して、「event と resource」 という意味論的概念を導入して、記号の意味が中核の役割を演じる体系となっています。

 カルナップ 氏も、この文に呪縛されていて、かれは かれの ソリューション を示しました──カルナップ 氏は、ゲーデル 氏・タルスキ 氏との交友を通して、ウィトゲンシュタイン 氏の 「ひとつの言語」 説を離れて、意味論的な 「真」 が構文論的な 「証明可能性」 と同値であることに着目して、「F-真」 概念・「L-真」 概念・座標言語を導入して、「文の生成規則 (構文論) は、文のなかで記述できる」 と考えて、「複数の言語」 を作り得ることを示しました。

 「event と resource」 を構文論的に──帰納的関数の観点に立って──説明することはできます。すなわち、P を n + 1 変数述語として、(x1, x2, ... , xn) に対して、P (x1, x2, ... , xn, y) を真にする最小の y を考えて、特徴関数 CP(x1, x2, ... , xn) を導入して、以下の 「帰納的部分関数」 を考えてみます。

    g (x1, x2, ... , xn, y).
    f (x1, x2, ... , xn) = μy (g (x1, x2, ... , xn, y) = 0).

 任意の (x1, x2, ... , xn) ∈ Nn に対して、g (x1, x2, ... , xn, y) = 0 となる y が、つねに、存在するとき、関数 g を 「正則 (regular)」 であると云います。そして、μ-operator を正則関数に対して適用して得られる帰納的部分関数を 「帰納的関数」 または 「一般帰納的関数」 と云います。集合や述語が 「帰納的」 であるという意味は、その特徴関数が帰納的であるということです。「event」 は、「帰納的」 です。したがって、帰納的関数を使うことができます。

 なお、S ⊆ N が帰納的に可算であって、かつ、その補集合 Sc = N − S が帰納的に可算であれば、S は帰納的です。

 さて、「resource」 は、TM 上、(定義された entity のなかで、) 「『event』 の補集合」 とされています。「resource」 は、g (x1, x2, ... , xn, y) = 0 となる y が、つねに、存在するような特徴関数を組むことができない。したがって、帰納的ではない。ゆえに、「event と resource」 から構成される entity は、帰納的にならない。ゆえに、entity に対して帰納的関数を適用することができない。

 勿論、究極のやりかたとして、「resource」 に対して、「アルファベット 順 (あるいは、五十音順)」 という辞書配列的な特徴関数を考えることはできます。しかし、そうしたとしても、「event」 に適用される特徴関数と 「resource」 に適用される特徴関数が違っているので、entity に対して、1つ (one and only) の特徴関数を適用することができないでしょう。

 もし、entity に対して帰納的関数を適用できないなら、「entity を起点にして作られた 『構成』」 の完全性を証明することができない。勿論、帰納的関数のほかの関数を考えることはできるでしょう──たとえば、アッケルマン 関数のように。しかし、数学を専門にしていない私は、新たな関数を考え得るほどの天才ではない (私は、数学嫌いな エンジニア です)。

 さらに、やっかいな問題点になったのが、TM の前提を 「意味の使用説」 に移して、モデル のなかに、「合意された認知」 という視点を導入したので──具体的には、entity の認知に関して、コード 体系を適用することを考えたので──、しかも、TM を使って作った 「構成」 は、データベース 構造として実装されるので、TM は、かならず、無矛盾性と完全性を証明しなければならないという点でした。
 しかも、TM が対象にしている事業過程・管理過程は、それぞれが、それぞれ、独自の与件をもっていて、それぞれの事態のなかに、なんらかの自然法則に近い 「共通の」 法則がある訳でもないので、「それぞれの事実を 『正確に』 記述しなければならない」 という要請に応えなければならない。

 私が考えた ソリューション は、TM を以下のように組むということでした。

    「合意」 → L-真 → F-真

 具体的には、事業過程・管理過程のなかで伝達されている 「情報 (伝票、画面、レポート など)」 を対象にして──すなわち、「情報」 を 「意味の伝達」 ゲーム として考えて──、以下の手続きで、TMD (TM Diagram、T字形 ER図) を作成することにしました。

 (1) 「真とされる集合」 を作る (コード 体系を前提にした 「合意された認知」 を重視する)。
 (2) 「真とされる集合」 に対して、文法 (生成規則) を適用して、「L-真」 を構成する。
 (3) 「L-真」 に対して、指示規則を適用して、「F-真」 を験証する。

 すなわち、「意味の使用説」 を前提にしながらも、「意味の対応説」 を導入しています。
 この点を、私は、本書の 「はしがき」 のなかで、以下のように綴っています。

    「ことばの意味」 が 「合意・同意・規則 (事業過程に関与している人たちが同じ 『反応と適用』 を
    示せば、『ことばの意味』 が成立している)」 という考えかたを前提にしていれば、記号と単語の間
    に指示関係 (真理条件) を適用することに対して、筆者は躊躇 (ためら) いはない。

 この文が意味しているのは──ただし、この文のなかで 「単語」 という ことば は間違いであって、「事実的事態」 が正しいのですが──、「まず、『合意』 された認知対象を entity として考えて、entity に対して生成規則を適用して 「L-真」 を構成して、「L-真」 構成に対して、改めて、「F-真」 (真理条件) を験証する」 手続きのことです。「『F-真』 → 『L-真』」 という手続きにしなかった点を注意して下さい。

 ちなみに、TM のなかに、文法 (生成規則) として帰納的関数を適用できないので、無矛盾性・完全性を実現するために、どのような文法を組んだかは、「反 コンピュータ 的断章」 (2007年10月16日) を参照して下さい。 □

 



[ 補遺 ] (2013年 1月23日)

 「理論編-8 『意味の対応説』 と 『意味の使用説』」 は、「赤本」 を執筆した理由を述べています──すなわち、「意味の対応説」 と 「意味の使用説」 との調整 (併用) を考えなければならなかった理由を述べています。「意味の対応説」 は、数学的には、(タルスキー 氏の説に代表される) 「真理条件」 だと思っていただいていいし、「意味の使用説」 は、数学的には、フレーゲ 氏の文脈主義と、レーヴェンハイム・スコーレム の下降定理だと思っていただいて宜しいのですが、「真」 概念 (導出的真と事実的真) を完全性の中で実現するためには、「言語」 を対象にした場合、語の 「意味 (実義)」 (meaning) の扱いが極めて重大な論点となります。言語は、定義あるいは基本的意味を持っているし [ 合意された 「意味」 ]、それらの実際の 「意味」 は文脈の中で定立されるし [ 導出的真の構成 ]、文脈の中で定立された 「意味」 が事実として正しいかどうかも験証されなければならない [ 事実的真の験証 ]。それらの手続きを モデル 技術として構成しなければならない。それを考える足掛かりとなるのが 「理論編-8」 です──TM は、モデル 技術として、「合意された語彙 → L-真の構成 → F-真の験証」 という手続き体系を組んでいますが、その足掛かりとなるのが 「理論編-8」 です。





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