思想の花びら 2019年 2月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  物とは存在するものだ。物としての変化とは、変化のもとに物は存在するという意味での変化である。ここで問題は、混沌と秩序とのいずれを選ぶかではなく、現実と虚無といずれを選ぶかにある。なぜ虚無というか、僕らのうちの秩序、思い出や愛や望みの秩序も、物の秩序だけにささえられているからだ。だから、ジュール・ラニョオは言った、「我といっさいの物は存在するかしないかどちらかだ」 と。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  求信の第一歩において我々の犯す過失がある。それは、最も神聖な筈の祈り自身にひそんでゐる。人生の痛苦故に人は祈るであらう。(略) しかも祈ることによつてどんな報酬もないと知るまでには時間がかゝる。自己は昔さながらに空想的な自己である。たゞ信心に入つたといふ余計な虚栄が一つ加つただけだ。信そのものが迷ひの所作である。迷ひと自覚するものは幸ひである。多くの場合我々は小さな安心に落着く。少くとも一つの問題は解決したと思ひ易い。そして次の問題は、といふ風に上昇して行く。上昇して行くやうに思ひこむ。(略) 愚かしい演技である。

 


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