思想の花びら 2019年 3月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  物としての連続とは因果性自体だということになる。これが悟性の原理に関する証明の様式である。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  何故私は信仰などといふことを考へたのだらう。無常の世に処する自分の心の、何とも云へない惨めな不安定。それが快癒するであらうと思つた錯誤から発してゐるやうだ。己の計量すべきことではないと知りつゝ、やはりどこかで何かを待つてゐるのである。再生と云つてもよい。第二の救世主と云つてもよい。だがこの期待もまた一つの錯誤を含む。不安定に対する凝視が、期待といふ美しい夢によつてさへぎられる。そして期待する心の裡に、明らかに 「自分もまた」 いい位置に昇るであらうといふ──それは精神的の意味だけだが──野心がある。信仰の世界にも立身出世主義といふものはあるのだ。いかに 「精神的」 と弁解してみても。
  期待は己の滅却であると知ることは難い。一体私は何を信じてゐるのだらうか?

 


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