思想の花びら 2020年 5月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  人々は富をもてあそびたがる、ある者は音楽を、ある者は学問を。しかし富を愛するのは商人であり、音楽を愛するのは音楽家、学問を愛するのは学者である。アリストテレス のたくみな言葉をかりれば、現実的 (en acte) にそうなのだ。だから、ただじっとして受け取るだけでおもしろいことはない。(略) あらゆる苦労は、幸福の一部だといえる。庭は自分で造らなければおもしろくない。くどきおとさなければ、女もおもしろいものではない。権力を苦もなく得た者は、権力にさえ退屈するものだ。(略) 競走する者には走る幸福がある、見物人には楽しみしかない。(略) 子供がよく運動の選手になりたいというときに、正しい手段に事を欠いているわけではないが、やってみるとすぐ失敗する、苦労をはぶいて成功したと思いこむからだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  思想をもつということも、畑を耕すことと同じである。疑問をもち、考へつゞけ、日常の様々な出来事の裡に体験し、時には失敗したり、いまひと息のところで挫折したり、七転八倒して、やつと収穫したやうな、さういふいかにもその人らしい思想といふものにふれることは稀である。今日の教養人は、外国輸入の、或は国産の、思想の缶詰を食べてゐるといつた具合だ。(略) 思想の生産者でなく、その収穫だけをあれこれ喰べちらして、味覚を楽しみ、饒舌してゐるのが今日の教養人ではあるまいか。

 


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