思想の花びら 2021年 3月 1日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  ここまでくると、自分自身を知るとはどういう意味かはっきりわかる。自分が弱く無力だと思えば実際にそうなってしまうのだ。自分自身を知って、結局行為するようになりはしない、行為はしばしば希望以上のものだから、苦しむのが落ちだ。そういうしだいで、自己観察というのが、まさしく一種の狂気の端緒にほかならないのだ。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  ものを書いてゐると、傑作意識につきまとはれやすいものである。何かすばらしい傑作を書かう、人をあつと言はせよう、鋭さうな言葉や機智にみちた言葉を書かう、そんな気になるものであるが、さういふときなど、私は最初に挙げた 「徒然草」 の双六の名人の言葉を思ひ出す。傑作を書かうと思つてものを書くべからず、駄作を書くまいと思つて書け、といふ風に考へる。つまり地味で、着実で、ほんたうに自分の考へたこと感じたことを、出来るだけ正確に書くことを心がける。どんなに平凡でも、その点は着実にかいて、決して人を脅かすやうな文句や過度の飾りや、よけいな形容詞を使ふまいと心がける。むろんそのとほりにはゆかないが、しかしほんたうに熟練してくるにつれて、文章は簡潔に正確になるものである。

 


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