思想の花びら 2022年 1月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  尋常な生活の規約に従い、一般の風俗習慣をも受け入れて、そういう機会から遠ざかっているのが賢明だということになる、もっとも精神だけは別の仕事をもっていなければならぬ。(略) 月並みな習慣を賛美するよりむしろ、さようなものを頭から判断しない方がよろしい。そこにこの世の別の一つの純潔があるわけだ、眠りのように美しい純潔が。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  裸形の描写はいかなる意味でも、キリスト 教においては悪魔の誘惑として斥けらるべきものかもしれない。しかしいかなる宗教も、ポエジー を斥けることは出来ないであろう。これはむずかしい問題だ。悪魔の誘惑とすれすれのところに存するからだ。大きく考えるなら宗教と芸術との関係あるいは相剋の問題になる。(略) 宗教の世界は云うまでもなく神の愛を説くところだ。しかし神の愛は人間性の微妙性への明確な透視でなければならない。その微妙性に通ずる道として ポエジー は大切な役割を果すのではなかろうか。たとえ多くの危険を伴っても。宗教感情の生硬化を防ぐために必要なのではないか。

 


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