思想の花びら 2022年10月15日


 ●  アラン (哲学者) のことば

  権利は論証と証拠との力で発見される、他のものの力に頼るのではない、ただ思想の力によって発見されるのであって、その以外のものに助力を仰ぐのではない。その点、真の反抗は、追跡されようが投獄されようが、死を求められようが自分の意識の命ずるところにしたがって誇りあるいは書くことになる。

 



 ●  亀井勝一郎 (批評家) のことば

  しかし真の怒りとは何か。罪悪感に発した祈りによって支えられたゐ怒りこそ真実であり、純粋である。私は パウロ の叫びの中にそれを見る。同時にこうした怒りが、現代には失われていることに気づかざるをえない。現代ほど怒りの材料にみちているときはない筈なのに、却て真の怒りは見失われているようである。宗教や道徳が、「怒るなかれ」 と教えるのは、人間においてそれはつねに恣意的な憎しみや復讐心に変るからである。個人の嫉妬心や野心から発し、一時の激情となって相手を傷つけるからである。かかる怒りは避けなければならない。しかし真の怒りを忘れてはならぬ。奴隷とは真の怒りを忘れたもののことだ。私がいま述べたような神の怒りとは、人間にとっては大切な倫理であり、美徳だと云ってもよい。

 


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